――マンガ家という職業につくことを意識されたのはいつごろですか?
中学時代、好きでマンガや絵を描いていたら友達が褒めてくれてたんですね。
そのころからばくぜんと「マンガ家になりたいな」とはおもっていましたが、本当になりたいと思って投稿をはじめたのは高校に入ってからです。ゆでたまご先生が中学を卒業してすぐ『キン肉マン』の連載をはじめて、「同い年なのにプロでやっている人がいるのか、これはのんびりしていられないな」と思ったんですね。
当時はみんなデビューが早かったんですけど、それ以上に手塚治虫先生や梶原一騎先生の影響を受けた世代のマンガ家が台頭していて、マンガがメディアとしてもりあがっていたんです。 学校の先生や親には「マンガなんか読んでいたら馬鹿になるから…」と注意されていました。でも当時のマンガは、いろんな個性がぶつかりあっていて面白かったですね。
――ご出身は宮城県の仙台ですが、仙台という土地から受けた影響はありますか?
ぼくの少年時代というのは、戦争が終わって20年ほど経ったころで、戦争の爪あとじゃないけど、さまざまな伝説が残っていたんですよ。防空壕も残っていましたしね。
ふるい城下町でしたから、埋蔵金が隠されているという噂もあって、実際、そういういかがわしいものを探している山師風のひともいました。あと、年に一人くらいは子供が池でおぼれたりしていましたし、殺人事件もありました。
当時の仙台は、まだ闇が残っていたというか、ミステリー的な要素が多かったように思います。
――混沌とした雰囲気と、高度成長の波が拮抗しているような…
仙台は山や海といった要素がコンパクトにまとまっている街です。新興住宅地が広がって山のほうまで押しよせてきたり、ふるい町が区画整理されていくようすを見ながら育ちました。でもふしぎなことに、同時に、山を歩いていると亡霊や埋蔵金などの想像力を刺激する街でもあったんです。
そういう土地で『シャーロック・ホームズ』とか読んでいると、妙にリアリティがあるんです。だからマンガを読んだり、空想するのはすごく好きでした。
――子供のころは、どんなマンガを好んで読んでいましたか?
当時の流行していた作品はほとんど読んでいましたね。 『バビル二世』や『カムイ伝』、『カムイ外伝』などは、ぼくにとっての教科書というか、いまでも読み返します。横山光輝先生や白土三平先生はプロになっていく過程ですごく意識していました。
とくに横山先生は主人公の感情をドライに描く作風で、完全にサスペンスに徹しているので、子ども心に「ほかの作家さんたちとは違うな」と思っていました。ハードボイルドなんですね、絵もクールですし。
「少年ジャンプ」の作品では、やっぱり『リングにかけろ』ですね。あと『コブラ』や『サーキットの狼』。さらに子どものころだと『荒野の少年イサム』や『包丁人味平』も好きでしたね。「ジャンプ」は週刊も月刊も、すみからすみまで読んでましたよ。