
後漢・三国時代の鎧を纏わない戦士達
自分のサイトの図解用イラストとして描き下ろしたもので、後日掲載予定。
さて、合戦の華々しい斬り合いには不可欠な鎧ですが、当時の実相はと言えば、末端の兵士については、未着用が普通の様相を呈していました。古代中国では概ね4割前後と言われています。特に三国鼎立前の時期はその傾向が顕著でして、官途の戦いの曹操軍等、大半の兵士が鎧を付けていなかったそうな。
その理由は、愚見としては、戦争インフレによる慢性的な物不足と地方官・豪族の資本力や権力基盤の弱さにあるように思います。
また、南方の場合は孫権の時代に本格的な開発が始まったこともあってか、森林・山岳・河川の多い地形という事情があり、これも鎧の装備が進まなかった理由だそうな。「南船北馬」という言葉がありますが、こういう地形の話は、後世のカンフーの南北による性格の違いにも影響を及ぼします。