莺姫(うぐいすひめ)
昔々(むしかむしか)骏河国(するがこく)、一人(きとり)の爷(じじい)がありました。山(やま)で竹(たけ)を伐(き)って来(き)て色々(いろいろ)の器(うつわ)を作り(つくり)、それを売(う)って渡世(とせい)にしていたので、竹取り(たけどり)の翁(おきな)と谓(い)い、又(また)箕(み)作り(つくり)の翁(おきな)とも古い(ふるい)本(ほん)には书(か)いてあります。この箕(み)作り(つくり)の翁(おきな)はある日(ひ)竹林(ちくりん)に入(はい)って、莺(うぐいす)の卵(たまご)が巣(す)の中(なか)でただ一(ひと)つ特(とく)に光(ひか)り辉(かがや)いているのを见(み)つけました。それを大切(たいせつ)に家(いえ)に持(も)ってきて置(お)きますとおのずと壳(か)が割(わ)れてその中(なか)からまことに小(ちい)さな美しい(うつくしい)お姫様(ひめさま)が生(う)まれました。莺(うぐいす)の卵(たまご)から生(う)まれた故(ゆえ)に莺(うぐいす)姫(ひめ)と名(な)をつけて、自分(じぶん)の子(こ)にして育(そだ)てました。だんだんに大(おお)きくなって、后(あと)には又(また)とないような绮丽(きれい)なお姫様(ひめさま)になり光(ひか)り辉く(かがやく)故(ゆえ)に又(また)かぐや姫(ひめ)とも呼(よ)ばれました。箕(み)作り(つくり)の翁(おきな)の伐(き)ってくる竹(たけ)の节(せつ)の中(なか)には、いつでも黄金(おうごん)が一杯(いっばい)诘(つ)まっているようになって、元(もと)は贫乏(びんぼう)であった老(ろう)人(にん)が、仅(わず)かなうちに长者(ちょうじゃ)になってしまいました。その长者(ちょうじゃ)の美しい(うつくしい)姫(ひめ)のところへ、婿(むこ)になりたいといって色々(いろいろ)の人(ひと)が寻(たず)ねてきましたが、いつも长者(ちょうじゃ)の亲子(おやこ)から难しい(むつかしい)问(と)いを挂(か)けられて、それが答え(こたえ)られないので困(こま)って帰(かえ)っていきました。时(とき)の天子様(てんしさま)はかぐや姫(ひめ)の光(ひか)り辉く(かがやく)ような美人(びじん)であることを闻(き)きになって、狩(かり)のお游び(あそび)のついでに骏河国(するがこく)まで姫(ひめ)を见(み)においでになりました。そうして都(みやこ)に上(のぼ)って御妃(おきさき)になるように、お勧(すす)めになりましたけれども、思う(おもう)ところがあってこれをさえ御(ご)辞退(じたい)申し(もうし)上(あ)げました。その年(とし)の秋(あき)の八月(はちがつ)十五夜(じゅごや)に、月(つき)の光り(ひかり)が清ら(きよら)かに、空(そら)いっぱいに照り(てり)渡(わた)っている时(とき)、真っ白(まっしろ)な云(くも)が迎えに(むかえに)来(き)まして、かぐや姫(ひめ)亲子(おやこ)は富士(ふじ)の山(やま)の上(うえ)から、天(てん)へ上って(のぼって)行(い)ってしまったそうであります。その折(おり)にこの歌(うた)を添え(そえ)て、死(し)なぬ薬(くすり)というものを天子様(てんしさま)に差し(さし)上(あ)げました。
今(いま)は天(あま)の羽衣(はごろも)着(き)る时(とき)ぞ君(きみ)を思い(おもい)でておる。
天子様(てんしさま)はこの和歌(わか)をご覧(ごらん)になって、とても悲しみ(かなしみ)なされたということであります。そうして死(し)なぬ薬(くすり)にも用(よう)はないと仰せ(おおせ)られて、天(てん)に最も(もっとも)近い(ちかい)富士(ふじ)の山(やま)の上(うえ)に持(も)っていって、それを焼いて(やいて)しまうように命(めい)じられました。それから久しい(ひさしい)后(あと)まで、富士(ふじ)の烟(けむり)と言って(いって)常に(つねに)この山(やま)の顶上(ちょうじょう)が燃え(もえ)ていたのは、その薬(くすり)を焼き舍てた(やきすてた)烟(けむり)が永く(ながく)残って(のこって)いるのだと言い伝え(いいつたえ)ていたそうであります。