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【生肉汇总】天牢都市

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IP属地:辽宁1楼2017-03-11 21:35回复
    CONTENTS
    Prologue
    Chapter.1
    幕間 ~interlude.1~
    Chapter.2
    幕間 ~interlude.2~
    Chapter.3
    幕間 ~interlude.3~
    Chapter.4
    幕間 ~interlude.4~
    Chapter.5
    Epilogue
    Prologue
     その日、少年は翼を失った。
     意識を取り戻すと同時に彼が認識したのは、全身を苛(さいな)む痛みだった。
     腕が痛い。足が痛い。背中が痛い。呼吸をしようと吸い込んだ空気は肺を内側から圧迫し、身体(からだ)の内側までが痛みを訴えていた。
    頬(ほお)に触れているのは、土と草の感触。身体を動かすと、それだけで全身がばらばらになりそうな激痛が走り、彼は悲鳴を上げた。
    「ぁ……っ、ぐっ……!」
     脂汗を流しながら、地面に手をついて身体をどうにか起こす。
     なにが起こったのか。激しい痛みとは裏腹に、霞(かすみ)がかかったような思考で周囲を見渡し──彼は絶句した。
     そこは、広大な草原だった。遠目に森と空と、遥(はる)か上空に浮かぶ大地の底が見える。そんな素っ気ない光景の中で、少年は黒煙を燻(くゆ)らせる機械の残骸(ざんがい)に抱かれるようにして倒れていた。
    微(かす)かに記憶が蘇(よみがえ)る。そう、少年はその機械に乗り、遥(はる)かな空を飛んでいたのだ。
    「……そうだ……空を、飛んでたんだ」
    霞(かすみ)がかかっていた思考がクリアになり、記憶が一気にフラッシュバックする。鮮明に覚えている。鮮やかなまでに目に焼き付いている。
    (……僕たちは上の世界を目指して、空に昇っていって、それで──)
    ──墜(お)ちた。
     ハッと気づく。飛行機械に乗っていたのは、自分だけではないことに。
    「リア!」
     腹の底から這(は)い上(あ)がってきた悪寒を吐きだそうとするように、少年は名前を呼ぶ。
    「リア! リア! どこにいるの、リア……!」
     一歩進むたびに身体(からだ)中(じゆう)の骨に亀裂(きれつ)が入るような痛みがあったが、彼はかまわずに声を張り上げ、近くにいるはずの相手に呼びかける。けれど、返事はない。名前を呼び、返事がないことを確認するたびに、少年の胸に焦りが募っていく。
     煙が目に染みて涙が滲(にじ)み、喉(のど)がひりひりと焼けつく。最悪の結末が頭の中に浮かんでは、それを振り払うように一層大きく名前を叫ぶ。
     と──。微かに、本当に微かに、風の音に混じった声を聞いた。
    「……カ……ィ……」
    「リア……!」
     確かに自分の名前を呼んだ。声のした方へ、機械の破片をかきわけ──辿(たど)りつく。
    「リア……っ、…………!」
     そして、言葉をなくした。
     そこに倒れていたのは、一人の少女。使い古しのジャケットは元々はモスグリーンだったが、流れ出た少女の血でどす黒く変色していた。
     ゆっくりと、少女の目が開く。
    「……よかった……無事だったんだ、カイ……」
     今にも消え入りそうな、震えた声。その顔は血の気を失って青白く、もはや意識を保っているのがなにかの奇跡としか思えないありさまだった。
    「リア……」
     かける言葉が浮かばず、ただ名前を呼ぶ。そんな少年を安心させるように、少女は蒼白(そうはく)な顔で困ったように笑って見せる。
    「はは……ちょっと、失敗しちゃった、かな……」
     ゆらりと、少女の手が持ち上がる。小さな指で空を──その先にある、空に浮かぶ大地の底をつかもうとするように、手を伸ばす。
    「……行けると思ったんだけど、な……ちょっと、欲張りすぎちゃったみたい、だね。まあ……なんとか下層までは、来れたみたい……だけど……」
     力無く揺れる少女の手を、少年が両手で包み、自分の額に押しつける。祈るように。あるいは──赦(ゆる)しを請うように。
    「ごめん……ごめん……リア……」
    「カイ…………?」
     不思議そうに少年を見上げる少女。
    「どうしたの……? なんで、カイが謝るの……?」
    「僕が……僕のせいで……、僕が……!」
     少年のこぼした涙が、少女の手を伝って流れる。
     傷を負った少女の隣で、少年は泣き続けた。
     空を目指した少年と少女は、望みを果たすことなく、地へと墜(お)ちた。
     身の程知らずの望みを抱いた果ての、悲惨な結果──
     それは、少年時代の終わりを告げるには、あまりにも苦い結末だった。


    IP属地:辽宁2楼2017-03-11 21:40
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      2025-06-08 04:51:19
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      Chapter.1
      ──鳥がある一定の高さまでしか舞い上がることがないのは、それ以上行けばたちまちに墜落して死んでしまうと知っているからだ。一見して自由に見える鳥だが、皮肉なことに彼らは誰よりも己の限界について知っている──
      ──第六セフィラ《ティファレト》 アルバルト・ウェイスティン著
      『自由であることの代価』より
      「カイっちー!」
       けたたましく名前を呼ぶ声に、カイルの意識は覚醒(かくせい)した。開いた目に映るのは、染みが浮いた天井。カイルが寝床としている自宅兼事務所の寝室だった。
      「…………うるせぇな」
       スプリングのへたれたベッドの上で身を捩(よじ)り、苦々しい顔でカーテンをめくる。既に昼前らしく、太陽は高い位置にあった。
       灰色の頭髪が特徴的な、全体的に倦怠感(けんたいかん)を漂わせる青年である。苦労人なのか、物憂げな三白眼(さんぱくがん)には妙に老成している雰囲気があった。
      剥(む)き出(だ)しの上半身は程よく引き締まっており、腹や背中には刃物傷や銃創と思(おぼ)しきいくつもの古傷が刻まれていた。
      「カイカイカイ、カイっち───!」
       夢の中でも少女に名前を呼ばれていたが、今彼の頭蓋(ずがい)内で反響するのは別の少女の声だった。階段を上っている最中らしく、どたどたという足音が徐々に大きくなってくる。
       盛大な音をたてて扉が開かれたのは、次の瞬間だった。
       現れたのは、十代半ばの少女。金というよりは黄色に近い髪をショートカットにした、いかにも元気が取り柄という風情の娘だ。髪の色に合わせたのか、フリルつきの黄色いワンピースを着ており、活動的な少女の印象によく似合っていた。
      「カイっち!」
       少女は部屋に入るや、なにを思ったか飛び込んできた勢いのままに跳躍(ちようやく)。
      「……は?」
       見上げた視界(しかい)には、ベッドに寝転がった自分の腹へとダイブしてくる少女。
       直後、腹部に衝撃。
      「ごふッ……!」
       少女のボディプレスをもろに腹で受け、カイルは苦悶(くもん)のうめき声をあげた。
       カイルと交差するような体勢のまま、少女が声を張り上げる。
      「カイっち! 大変だよっ!」
      「大変なのは俺の内臓だ! 口からでそうになったわッ!」
      「でてないから大丈夫!」
      「いいからさっさと降りろ!」
       無駄に元気な少女を跳ねのけると、カイルはため息をつきつつ、くたびれたベッドのスプリングを軋(きし)ませて身体(からだ)を起こした。
      「……で、朝っぱらからなんの用だ、ミリー」
      「起こしてあげようと思って。あと、もう昼だよ」
      「そうか……今度からはもう少し静かな起こし方で頼む」
       げんなりと呻(うめ)く。少女──ミリーは素直にこくんと頷(うなず)き、
      「わかった。次からは鼻にマスタードを塗りこむことにする」
      「おまえはなんにもわかってねぇな」
      「あれ、タバスコのほうが好きだっけ? どっちがいい?」
      「そういう問題じゃねぇしどっちもやだよ」
       この娘のペースに合わせていたら話が進まない。頭を振って思考を切り替える。
      「それで、なんの用だ。俺は今日非番で、ついでに言えば十日ぶりの休日なんだが」
      「あ、そうだ。トラブルだよ、トラブルっ。てんちょが態度の悪い客ともめちゃって」
       なぜか嬉(うれ)しそうに言うミリーに、カイルは嫌そうに顔を顰(しか)める。
      「アイリーンだったら心配いらないだろ。俺が出るまでもない」
      「いや、そうじゃなくってさ」
       あくまで気楽そうな口調のまま、ミリーは言った。
      「てんちょ、ものすんごいキレてるから。さすがに人死にが出るのはまずいっしょ」
      「…………」


      IP属地:辽宁3楼2017-03-11 21:43
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         カイルは頭を抱えてきっかり五秒だけ沈黙すると、ため息をつき、
        「……わかった。すぐ行くから、下で待ってろ」
         観念したように言うのだった。
         五分後、カイルの姿は一軒の酒場の前にあった。着古したロングジャケットを羽織り、足元は武骨なコンバットブーツで固めている。
         年季の入った木造二階建て。店名を記した看板もない、素っ気ない佇(たたず)まいだ。
         店の中からは男の怒鳴り声が聞こえてくる。
        「はやくはやく!」
         ミリーに急(せ)かされ、カイルは嫌々ながらも酒場の扉を押し開けた。
         扉についたベルが鳴り響き、店内にいた十人ほどの視線がカイルに集中する。
         その視線に気圧(けお)される──ということはなかったが、めんどくさいなとは思いつつ、店の状況を見渡す。
         店内は吹き抜け構造の二階建てだ。一階は入口正面にカウンター席があるほか、丸テーブルがいくつか並んでいる。壁際に階段があり、上った先の二階にはソファー席が数席。
         問題は一階で起こっていた。招かれざる客は、四人連れの男たち。いずれもアルコールが入っているらしく、あからさまに顔が赤い者もいる。恐らくはリーダー格なのだろう、髭(ひげ)を生やした男が先頭に立って店側の人間と向かい合っていた。
         一方の店側はというと、十代半ばから二十歳前の少女ばかりで、いずれもがミリーのようなかわいらしさを前面に押し出した衣装で着飾っていた。荒々しい男たちに詰め寄られては反抗もできなそうに見えたが、一歩前に出て男と向かい合っている女性だけは様子が違った。
         年齢は少女たちよりも一回りは上だろう。女性ながら身長が高く、相対する男と比べても見劣りしない。腰まで届く黒髪(ブルネツト)は赤みがかっており、鮮血を吸ったような色合いだ。しなやかな肢体(したい)をワインレッドのドレスで彩っており、その優雅な立ち姿は社交界でも通用しそうだ。ただ、実際にその女性が華やかな場に出ることはないだろう。
         美女と言って差(さ)し支(つか)えない面立ちではあったが、その右目は物々しい眼帯に覆われている。残った切れ長の左目はというと、涼しげを通り越して怜悧(れいり)とすら言える、凄味(すごみ)のある眼光を宿していた。その苛烈(かれつ)な眼差(まなざ)しはむしろ、眼帯に覆われた右目よりも剣呑(けんのん)だ。
        「アイリーン」
         店員と荒くれ者たちの視線が集まる中、赤髪の女性──アイリーンが愛想もなく答える。
        「来たのか」
        「一応、用心棒なもんで」
         本音としては、仕事先に人が寄りつかなくなって、失業するのを避けたかったからだが。
         カイルは店内へと足を踏み入れつつ、かたわらのミリーに小声で訊(たず)ねる。
        「……で、こいつらはなんなんだ?」
        「酒場は夜からだっていってんのに、金払うから酒出せって無理やり商品飲んでおいて、高いからまけろって」
        「それはまた……」
         命知らずなことをしたものだ、とカイルは内心で呆(あき)れつつ、気の毒にも思う。
        「なんだァ、てめぇは?」
         リーダー格と思(おぼ)しき髭(ひげ)の男が、酒臭い息を吐きながらカイルを睨(にら)みつける。
        「ここの用心棒だよ。今日は非番だけどな」
        「ほお、そうかい。だったら遠慮せずに引っこんでな」
        「あいにくだが、仕事先で流血沙汰(ざた)を起こされちゃあ困るんでね。穏便(おんびん)にいこうぜ」
        恫喝(どうかつ)する髭男の言葉を、カイルは軽くいなす。
         老成している感があるとはいえ、カイルの見た目は二十歳に届くかどうかというところだ。三十代半ばと思(おぼ)しき荒くれにしてみれば、若造に侮られていると感じたのだろう。
         髭男は酒が入って赤くなっていた顔を怒気でさらに紅潮させ、カイルへと向き直った。
        「……いいから引っ込んでろっつってんだよ。さもなきゃ──」
         髭男の手が腰に伸びる。衣類の膨らみから、拳銃(けんじゆう)を隠していることは気づいていた。だから、髭男がやろうとしていることは指先が動いた時点で察しがついた。
         指先が霞(かす)む速さでカイルの右手が翻る。ジャケットが跳ねあがり、腰に装着したホルスターから滑らかな動作で抜きだされたのは、武骨なリボルバー拳銃。
         雷光の速さで構え、躊躇(ためら)いなく発砲。甲高(かんだか)い銃声が店内に響き渡り、硝煙(しようえん)が立ち上る。
         髭男もその連れも、目を見開いて愕然(がくぜん)と硬直していた。息もつかせぬ早撃ち(クイツク・ドロウ)。その手並みは、青年の若さに釣りあわぬ完成された技術だった。
         ただ──放たれた銃弾は髭男の眉間(みけん)ではなく、背後の壁にめり込んでいた。
        「……へ、へへ……」
         強がるように、引(ひ)き攣(つ)った笑い声をあげる髭男。
        「へ、確かに速(はえ)ぇが、それでびびると思ったか? こっちゃあ四人いるんだ。一斉に抜けば、どう足掻(あが)いたって……」
        「いや、今の一発で十分だ」
         言いながら、カイルは流れるような動作で拳銃(けんじゆう)をホルスターに収める。
        「あ? どういう……」
        眉(まゆ)をひそめた男の身体(からだ)に、突如として背後から縄のような物が絡みついた。
        「ぐっ…… な、なんだ……」
         泡を食って自分の身体を見下ろし──髭(ひげ)男は引(ひ)き攣(つ)った悲鳴をあげる。
         髭男の身体に巻きついていたのは、植物の蔓(つる)だった。本来なら長い年月をかけて成長するはずの蔓植物(つるしよくぶつ)が、わずか数秒で髭男の身体にまきつき、縛りあげる。
        「ひっ……! な、なんだこりゃ……、くそッ、千切れねぇ……!」
         髭男が暴れるが、びくともしない。
         蔓は男の背後──ちょうど、カイルの銃弾が撃ち込まれたあたりの壁から伸びていた。まるで、店の壁の木材の一部が変化したかのように。
         突然自分の身を襲った不条理に、髭男は青白い顔で悲鳴をあげる。
        「てめえ……、《定戯式士(ていぎしきし)》か……」
        「まあ、そんなとこだ。喧嘩(けんか)売る相手を間違えたな」
         誇るでもなく、気だるげに答えるカイル。
        「《定戯式士》だと……」
        「なんでこんなちんけな酒場に……」


        IP属地:辽宁4楼2017-03-11 21:44
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           髭男の仲間が狼狽(ろうばい)するが、決断は存外早かった。目配せするや、酒場から逃げようと走りだす。が、直後にもんどりうってその場に倒れ、後続の仲間が躓(つまず)いて積み重なる。
          「どこへ行こうっていうんだい?」
           底冷えのするような冷たい声を発したのは、ワインレッドのドレスの女。どうやら、逃げようとする男に足をかけて転倒させたらしい。
           積み重なった男の髪をつかんで引っ張り上げると、器用にもドレスの中に隠していたらしい、銃身を切りつめた散弾銃──ソウドオフショットガンを取り出し、躊躇(ためら)いなくその口に突っ込んだ。
           自分の口蓋(こうがい)に捩(ね)じ込まれたものがなにかに気づき、男は悲鳴を漏らす。
           女性は男の耳元に口紅を引いた唇を寄せ、囁(ささや)く。
          「このアイリーンの店でやんちゃしておいて、ただで帰れると思っていたか?」
          妖艶(ようえん)さのただよう美女に耳元で囁かれるという状態ではあったが、その声音はどこまでも冷たい。震える男の歯がショットガンの銃身にあたってカチカチと音をたてる。
          「選ばせてやる。迷惑料込みで代金払うか、最下層に叩(たた)き落(お)とされるか──このまま散弾くらって挽(ひ)き肉(にく)になるかだ。どれがいい?」
           冗談めかした様子が一切ない、あくまで平坦(へいたん)な口調でアイリーンは言った。
          「ひっ、ひぃぃぃ……!」
           なさけない声を上げて、男たちがこけつまろびつ店をでていく。
           その様子を眺(なが)めていたカイルだったが、ふとアイリーンから声をかけられる。
          「カイル」
          労(ねぎら)いの言葉でもくれるのかと思って振り返ると、壁から伸びた蔓(つる)を差して言った。
          「はやく元に戻せ。邪魔だ」
           げんなりしつつも、カイルは壁に近づいて手をかざす。頭を空白にし、目の前の壁に集中する。壁の木材を見ると同時に、カイルの眼(め)はその物体を構成する情報を読みとっていた。
          「──再定戯(オーバーライド)」
           口にする必要はなかったが、言葉というのは自己暗示に最適だ。言葉の引き金(トリガー)に従うように、壁の木材から伸びていた蔓が見る間に縮み始め、やがて壁の一部となって跡形もなく消えた。
           アイリーンが壁を手でなぞり、元に戻ったことを確認する。と、その眉根(まゆね)が寄る。
          「おい。こいつはなんだ」
           アイリーンが指さす先を注視すると、そこには丸い穴が開いていた。わずかに穴の断面が焦げついていることから、弾痕(だんこん)であると察しがつく。
          「ああ、さっき俺が撃ったやつだな」
          「修理代として、今月の報酬は一割減額だな」
          「なっ……!」
           にべもなく告げられる言葉に、カイルは目を剥(む)いて抗議する。
          「横暴だろっ、こんな些細(ささい)な傷で! 第一、俺は非番のところをミリーに呼ばれて……!」
          「きゃんきゃんわめくな。それがおまえの仕事だろう」
          「……あー、アイリーンさん?」
           頭痛がする思いで頭を抱えるカイル。
          「なんか勘違いしているみたいだけど……俺、そもそも用心棒が本業じゃないからな? 俺の仕事は──」
          「なんでも屋」
           先回りするアイリーン。ふっと馬鹿にするように、唇に酷薄な笑みを浮かべる。
          「で、その仕事内容が曖昧(あいまい)ななんでも屋とやらは開業してからこの一年で、いったい何件の仕事を受けた?」
          「うっ……」
           痛いところをつかれ、カイルは目を逸(そ)らしながら弱々しく指を立てる。その数──四本。
           半眼になるアイリーン。
          「ほぉ。それで? そんな状態にもかかわらず、おまえが飢え死にすることもなく飯を食えているのは誰のおかげだ?」
          「…………ーン」
          「なんだ、聞こえんぞ。はっきり喋(しやべ)れ」
           しばしの葛藤(かつとう)の末、カイルは忸怩(じくじ)たる思いで口にする。
          「……アイリーンのおかげだ」
          「そうだろう、そうだろう。なんといってもアタシは、伝手(つて)もなければ身の証しもないおまえを、用心棒として雇い続けてやってるんだ」
           秀麗な容貌(ようぼう)をサディスティックに歪(ゆが)め、アイリーンはカイルを追い詰める。
          「だいいち、おまえが受けた四件の依頼だって、猫探しと戸板の修理くらいのもんだろう」
          「ぐっ……」
           事実だけにぐうの音も出ない。アイリーンはため息をつき、呆(あき)れたように言う。
          「おまえもな、もう少し建設的な仕事についてみたらどうだ? ネツァクの職人街にでも行けば、どこかしら下働きで雇ってくれるだろうさ」
           アタシに言えたことじゃないがね──と呟(つぶや)くようにつけたす。懐からキセルを取り出すと、マッチで火をつけ紫煙を燻(くゆ)らせる。いくぶんトーンの下がった声音で続ける。
          「まあいいさ。それより、店に出てきたついでだ、配達いってこい。フィー!」
           散らかった店内の片づけをしていた店員たちに呼びかけると、黒髪をストレートにした垂れ目気味の少女がアイリーンのもとへ小走りに駆け寄ってきた。
          「は~い。なんですか~、店長?」
          「ジム爺(じい)さんへの配達をカイルに行かせる。品物を持ってこい」
           は~い、と間延びした返事をして、フィーと呼ばれた少女が店の奥へ向かう。
          「配達って……誰も行くとは言ってないんだが」
          「どうせ暇だろう。届けてきたら壁の件はチャラにしてやる」
           報酬一割カットよりはずっとマシかと納得し、すぐに体よく使われたことに気づく。だが、既に後の祭り。気づいた時にはフィーからバスケットを受け取ってしまっていた。
           大きくため息をつく。
          「どうかしました~?」
           のほほんと聞いてくるフィー──本名は確かフィリーネだったと思う──に、
          「なあ、フィー……俺は、この店のなんなんだろうな」
           と一抹の期待を込めて問うと、フィーはにっこり笑い、言った。
          「なにいってるんですか~。カイルさんは、このお店の大事な雑用係じゃないですか~」
           一切の邪気がない少女の素直な言葉に、カイルはがっくりとうなだれるのだった。
           届け物のバスケット──中身はワインボトルと、つまみのチーズのようだ──を抱え、カイルはアイリーンの店を後にする。荷車がすれ違える程度の細い道を抜け、広い通りに出る。
           イェソド──それがこの街の名前だった。
           イェソドはとにかく高低差がある街だ。一ブロック離れた区画にある建物の屋根を眼下に見ながら、カイルは石畳の坂を下っていく。
           連なる家々は煉瓦造(れんがづく)りと木造建築が乱立している。建物の間はいたるところに曲がりくねった隘路(あいろ)が延びており、奥は見通せない。
           悪徳の街。それが、このイェソドの別名だ。華やかな大通りを一歩外れれば、そこにはあらゆる悪意が潜んでいる。
           イェソドは表裏の区別が曖昧(あいまい)だ。まっとうな人生を送っていたつもりが、気づいたら闇(やみ)社会に腰までどっぷりつかっていた──なんていうことも珍しくない。しかし、表も裏もない街だからこそ、道を踏み外したとも言えない。イェソドはあらゆるものを受け入れる。
           それでも、この街にはこの街なりの厳然たる『掟(おきて)』があった。『掟』は誰かが教えてくれるわけでも、どこかに書いてあるわけでもない。肌で感じ取るものであり、経験から導き出すものだ。その嗅覚(きゆうかく)を持っていない者は知らず知らずのうちに『掟(おきて)』を破り、痛い目に遭うこととなる。ちょうど、さきほどの男たちのように。
           大通りを下り、時折狭い路地を進み、やがてカイルは開けた空間に出た。
           ぱったりと建築物が途切れ、道は行き止まりとなり──そして、その先にはなにもなかった。街も、人も、よって立つ地面さえも。
           空。それだけが、カイルの眼前に広がっていた。


          IP属地:辽宁5楼2017-03-11 21:49
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             その結果──カイルの〝眼(め)〟は視覚情報とは別の光景を捉(とら)える。
             それは膨大な数列であり、二次元的な図面であり、立体的な構造モデルであり、しかしそのどれでもない。それは、この世界の真理をイメージ化したもの──事象記述解(イデアコード)。
            拳銃(けんじゆう)を抜き、落下する少女へと銃口を向ける。
            ──《定戯式》が作用する範囲はつまるところ、術者本人がそこは自分の力が及ぶと確信できる範囲だ。カイルの場合、干渉可能領域は自分を中心とした半径およそ二メートル。しかし、その範囲を拡張できる抜け道があった。
             銃弾。カイルは銃弾を自身の身体(からだ)の延長と捉えることで、その周囲を定戯式の干渉可能領域とすることができた。
             カイルの頭髪が仄(ほの)かな赤みを帯びる。定戯式士(ていぎしきし)が高度な術を使う際に起こる、具象光と呼ばれる現象だ。
             演算器と化したカイルの脳が、比較物の無い空中を落下する少女との距離を正確に算定。高速で変化する少女の座標を割り出す。
            (弾丸速度、三〇四メートル毎秒/対象の落下速度、七九メートル毎秒/仰角と高度から対象との相対距離を算出/相対距離に合わせて発動時間を遅延設定/一射ごとに銃口角度修正)
             集中力を増すことにより演算速度が跳ねあがり、主観的な時間の流れが引き延ばされる。
             空へと向けた銃の撃鉄に左手を添え、引き金を引く。
             銃声。
             高速で連なった銃声は六発。片手で保持した銃の引き金を絞ったままにし、撃鉄を左手で叩(たた)く、ファニングと呼ばれる速射法だ。わずか一秒の間に、カイルは六発の銃弾を全(すべ)て撃ち放っていた。
             放たれた銃弾が落下する少女の真下を通り過ぎる、その瞬間──銃弾を中心に、不可視の力場が展開された。
             弾道をずらして飛び出した銃弾は、少女の落下軌道上に断続的な支配領域を作り出した。
             支配領域へと少女が触れる。その瞬間、不可視のクッションに包まれたかのように、少女の落下速度が減衰した。
             カイルが銃弾に込めて撃ちだしたのは、落下速度を打ち消す空間を作りだす定戯式(ていぎしき)。結果、断続的に配置した支配領域に触れる度に、少女の落下速度が減衰していく。だが──
            (…………ッ、減速しきれない……!)
             苦々しく呻(うめ)く。このままではいくら速度が落ちたとはいえ、地面に激突した際の衝撃は少女の矮躯(わいく)を容易(たやす)く砕くだろう。
             少女が地面に迫る。高度はわずか数十メートル。
            (ちっ……間に合わない……!)
             カイルが諦(あきら)めかけた時──少女と目が合った。
             深い深い、どこまでも透徹した空色(スカイブルー)の瞳(ひとみ)。その澄んだ瞳に、カイルは吸い込まれるような錯覚に陥る。
             高速で落下している最中のことだ。細かな顔の造作などわからない。ただ、その瞳の色だけがカイルの心を捕らえていた。
             随分と長い間その瞳を見つめていた気もするが、実際には瞬(まばた)き程度の時間だっただろう。けれど、その永劫(えいごう)にも等しい刹那(せつな)が過ぎると同時──カイルは地を蹴(け)り、落下する少女へ向かって飛び出していた。
             空中で少女の身体(からだ)を受け止める。人一人を受け止めた衝撃に、呼吸が詰まる。
             少女を抱えたまま、カイルは通りに面した家屋の庇(ひさし)へと飛び込む。体重を支えきれず、庇が破れる。視界(しかい)が縦横に回転し、直後に衝撃。幸いと言うべきか、カイルが少女の下敷きになるかたちで地面に叩(たた)きつけられた。
            「かっ……!」
             落下の衝撃に、肺の中の空気が絞り出される。
             そうして、ようやくカイルと少女は停止した。
            (生きてる……よな)
            仰向(あおむ)けの状態で空を見上げ、カイルは自分がまだ生きているらしいことを確認する。腰を強(したた)かに打ちつけたようで、身を捩(よじ)ると鈍い痛みが走った。
            「ん……」
             カイルを下敷きにした少女が身じろぎし、ゆらりとした動作で上半身を起こす。
             真っ先に目についたのは、ボリュームがある亜麻色の髪だった。柔らかく波打っており、毛先は肩まで伸びている。年齢は恐らく十代前半、ミリーやフィーよりも、少し下くらいか。細い身体に仕立てのいい白のワンピースを纏(まと)っている。
             大きな瞳が周囲をしばし見回し──不意にそれが、カイルへと向けられた。
             青空を背景に、覗(のぞ)きこんでくる少女の瞳(ひとみ)もまた、空の青。
             改めて正面から見れば、幼さが残るものの整った顔立ちをしている。その中で、際立ってカイルを惹(ひ)きつけるのが、瞳だった。この少女の瞳を見ると、目が離せなくなる。
             どこまでも澄みきった、清澄(せいちよう)な青。純白の衣装と相まって、柄にもなくカイルの目には少女がお伽噺(とぎばなし)にでてくる妖精(ようせい)のようにも映った。
             ゆっくりと、蕾(つぼみ)が花ひらくように、少女の薄い口唇がひらく。その唇からもれる、最初の言葉は──
            「やっほー! げんきですかー! ていうか生きてます? 人生楽しんじゃってます? 今日も天気がよくてハッピーですねー!」
            ──頭が痛くなるくらい、能天気なものだった。
             少女に感じた神秘的な印象が、一瞬で完膚なきまでに粉砕される音を脳内で聞き──カイルはげんなりと呻(うめ)いた。
            「お兄さんは誰さんです?」
             腹に座ったまま興味津々といった様子で問いかけてくる少女に、カイルはため息をつく。
            「……とりあえず、どいてくれないか」
             少女に頼むと、「おおっ」と今気づいたかのように大げさに言い、ようやく降りる。
             起き上がったカイルがジャケットについた土埃(つちぼこり)を手で払い落としていると、真似(まね)するように少女もワンピースの裾(すそ)を叩(はた)く。さきほどまでの神秘的な雰囲気はもはや欠片(かけら)もなく、そこにいるのは見た目以上に幼い、大人の真似をするただの子供だった。
             それでも少女の得体が知れないことに変わりはない。
            「おまえ、名前は?」
            「ファ……」
             なにごとか言いかけ、ぴたりと口を噤(つぐ)む。
            「ふぁ?」
            「あ、いや、えっと……」
            顎(あご)に人さし指を当て、なにごとか考えている様子。ややあってなにか答えが出たのか、ぱあっと顔を輝かせて、満面の笑顔で言う。
            「ヴィータっ! うんっ、わたしの名前はヴィータです! ですよね?」
            「いや知らんが」
             なぜ人に訊(き)くのか。というか、最初は明らかに他の名前を答えかけていた。
             ベルトのポーチから取り出した銃弾を拳銃(けんじゆう)に装填(そうてん)し直しながら、カイルは思案する。
            (さて……どうしたものか)
             イェソドで生きるにあたり、カイルが真っ先に学んだ教訓は『余計なことには首を突っ込まない』だ。自分から他人のトラブルに巻き込まれに行くような人間はイェソドでは長生きできない。ましてや、少女は上から落ちてきたのだ。それはすなわち上層と結びつく。
            (なんかのトラブルで、外縁部から落ちたのか?)
             酒場でアイリーンがチンピラを脅(おど)していたように、「下の層に落とす」というのはイェソドでよく使われる脅しの常套句(じようとうく)だ。外縁部から落とされた人間はどうあがいても死を免れないし、死体の処理も考える必要がない。下の層で生活している人間にとってはたまったものではないが。
             しかし──それはイェソドの属する下層での話だ。王侯貴族(おうこうきぞく)が君臨し、秩序の守護者を自任する《教会》が目を光らせている上層セフィラにおいて、そんな形で処刑が行われたなどという話は聞いたことがない。ましてや、こんな子供にだ。
             とすれば事故か。いずれにしろ、本人に訊(き)いた方が手っ取り早いか。
            「で、おまえは……」
            「ヴィータ」
             ちょこん、と自分の顔を指さして少女が訂正するように言う。
            「……ヴィータ」
            「なにっ?」
             名前を呼ばれたことが嬉(うれ)しいのか、満面の笑みで答える。
            「ヴィータは、なんで空から落ちて来たんだ?」
             問いかけると、ヴィータはきょとんとした顔で固まる。
            「あー……」
             腕を組んで首を捻(ひね)るヴィータ。
            「そうきましたか」
            「いや誰でもまずはそこを気にするだろ。なんで意外そうなんだよ」
             どうにも噛(か)み合(あ)わない会話に、カイルは頭痛を堪(こら)えるようにこめかみを押さえる。
            「ん~、それがですねぇ……」
             ヴィータは困ったように眉(まゆ)をハの字に下げると、自分の頭をこつんと小突き、舌をぺろりと出して見せ、
            「どうもわたし、記憶がないみたいなんですよね~。えへへへ」
             などと、なんの気負いもなくのたまったのだった。
            「するとつまり、おまえは落下する前のことは何も覚えていない、と」
            「はいっ」
            「気がついたら俺の腹の上で寝ていた、と」
            「はいっ」
            「この辺の光景にも見おぼえはない、と」
            「はいっ」
             ヴィータの話をまとめて確認をとる。今度こそ本当に頭痛がして、カイルは頭を抱えた。
            「……大変な身の上の割には、楽しそうだな」
            「そうですかねー?」
             へらへらと笑うヴィータ。しかし、カイルはヴィータの言葉をあまり信じていなかった。
            「記憶喪失ってのは、自分の名前はしっかり覚えているもんなのか?」
            「えっ」
             矛盾点を指摘してやると、ヴィータはあからさまに狼狽(ろうばい)した様子を見せた。目をあちこち泳がせ、不自然な棒読み口調で言う。
            「そ、そうですねー、不思議ですねー。こういうことってあるんですねー、あははははっ!」
            「…………」


            IP属地:辽宁7楼2017-03-11 22:01
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               白々しさが天井知らずだった。
               ヴィータをまっすぐ見つめると、ヴィータも小首を傾(かし)げて見返してくる。
               間違いなく、この少女は意図的になにかを隠している。だが──そこに悪意を感じとることができない。なにも言わずにカイルを見つめ返す様子は、穢(けが)れを知らない無垢(むく)な子供としか思えなかった。
               そう──あまりに純粋すぎる。
               イェソドで生まれ育った人間はこうはならない。イェソドは人を計算高く、狡猾(こうかつ)にする。
              (だからか……)
               不意に、カイルは納得する。あんなにも少女の瞳(ひとみ)に魅せられた理由。それは、この少女がイェソドの住民では決して持ち続けることができない純粋さを失っていなかったからだ。
               だが──だったらどうだというのだ? この正体不明の少女に、これ以上関(かか)わる理由にはならない。危うきに近寄らないのが、イェソドで生きる者の不文律。
               悪い人間ではないだろう。正直に言えば、好奇心もある。それでも、それはカイルがイェソドの掟(おきて)に背いてまで少女に関わろうとすることの理由にはならない。
               カイルは踵(きびす)を返す。なにも言わずに立ち去ろう。それが利口な選択だ。
               そうして少女に背を向け──『それ』に気づいた。
               暗灰色の外套(がいとう)に身を包んだ異様な風体の男が、音もなくそこにいた。
              「…………」
               ゾクッ──背筋を走り抜ける悪寒。
               外套についたフードを目深に被(かぶ)っており、顔の造作は陰に隠れて窺(うかが)えない。
               路上生活者かとも思ったが、特有の悪臭はない。つまり、そう見えるよう偽装しているということだ。であれば、まともな手合いではないだろう。
               カイルと男の距離は四メートルほど。そこまで近寄られてなお接近に気づかないほど耄碌(もうろく)したつもりはない。
               それほどの手練(てだれ)が、あえて気配を消して背後から忍び寄っている──その時点で、カイルが最大限の警戒を払うには十分だった。
              「……知り合いか、ヴィータ?」
              「記憶喪失ですし。そうじゃなくても、ああいった知り合いはいませんね、たぶん」
               その表情を横目で確認し、嘘(うそ)ではないと判断。
               空から落ちてきた謎(なぞ)の少女と、それに合わせるように現れた異様な風体の男──いよいよもって、きな臭くなってきた。
              「よお、なんか用か?」
               警戒は緩めず、男に問いかける。だが、男はカイルの言葉に反応しない。というより、フードに隠れてわかりづらいが、男はさっきからずっとヴィータを見ているようだ。
              (狙(ねら)いはヴィータか……?)
               一歩、男が近づく。どこかぬらりとした印象を感じさせる、非生物的な動き。その動作に不穏なものを感じ──カイルは思わず、ヴィータを庇(かば)うように身体(からだ)をずらしていた。
               男の動きが止まる。その注意はカイルへと移っていた。カイルは胸中で舌打ち。
              (やっちまった……)
               男の視線はカイルに固定されたまま動かない。
               さりげなく、カイルは腰の拳銃(けんじゆう)へと手を伸ばす。男が妙な真似(まね)をすればいつでも抜き撃ちできるように。
               男の動きは唐突だった。がくん、と男の身体が前に傾(かし)いだのは認識できた。だが、それは予備動作と呼ぶにはあまりに不自然で、カイルの対処は一拍遅れる。
               気づいた時には、男は地を這(は)うように動き、彼我の距離を半分ほどまで詰めていた。
              「なっ……」
               面食らいながらも、カイルの右腕は半ば自動的になすべき行動をとっている。拳銃を抜きざま、即座に前方に照準する。身体に覚え込ませた動きはカイルを裏切らない。
               銃口が男をとらえる。あまりに低い姿勢のため、足を撃つという選択肢はなかった。致命傷を与えることに躊躇(ためら)いはあった。それでも、カイルの本能は引き金を引かせた。
               銃声。燃焼ガスが弾頭を加速させ、鉛の弾丸が男の身体を射抜く──はずだった。
               カイルは瞠目(どうもく)する。男の身体は、一瞬にして射線から消えていた。
              視界(しかい)の端を掠(かす)める影。眼球の動きだけで追うと、壁に張りついている男の姿があった。
               あの一瞬で進路を変更し、壁まで跳んだのか。明らかに人間の限界を越えた動き。四本の手足で壁面に着地した様は、四足獣か蜘蛛(くも)を思わせた。
               壁を蹴(け)り、男がカイルへと跳びかかってくる。銃での迎撃は間に合わない。
              咄嗟(とつさ)に左腕前膊(ぜんはく)部を立ててブロック、男の蹴りを受け止める。
               ミシ──骨の軋(きし)む感触。このままでは腕を砕かれると判断し、瞬時に自ら背後に跳ぶ。
               それでも衝撃は逸(そ)らしきれず、背後に積まれていた木箱へと背中から突っ込んだ。
              「かっ……!」
               背中を襲う痛烈な痛みに、目の前が霞(かす)みかける。薄れていく意識の中で自嘲(じちよう)する。
              (なにやってんのかね、俺は……)
               余計なことに首を突っ込んでもいいことはないと、さんざん学んだはずだった。だというのに──
               霞む視界(しかい)の中、男がヴィータへと近づくのが見える。
               それに対し、ヴィータは反応できずにいた。恐怖に捕らわれて、というわけではない。その顔に浮かんでいるのは困惑だった。
              (おいおい……ぼけっとしてないで逃げろよ……)
               あまりの無防備さに呆(あき)れかえる。この期に及んで逃げようとすらしないとは、徹底的に危機感が欠如しているらしい。
               このまま見て見ぬふりをすれば、これ以上の厄介事には巻き込まれないだろう。
               だが──
               カイルは唇を血が滲(にじ)むほどに噛(か)みしめ、薄れかけた意識を繋(つな)ぎとめる。総身に力を込めて身体(からだ)を起こすと、手近な木箱を男へと投擲(とうてき)した。
               木箱をかわすために男が飛(と)び退(の)いたことで、結果的に少女から引き離すことに成功。その機を逃さず、カイルは躊躇(ためら)いなく拳銃(けんじゆう)の引き金を引き絞った。
               銃声、銃声、銃声、銃声、銃声。回転式弾倉に残った五発の銃弾を一気に撃ち尽くす。
               男は腕を交差させて頭部を守る防御姿勢をとる。何発かは腕にあたるが、弾丸は弾(はじ)かれて軌道を変える。外套(がいとう)の下に手甲でも装着しているのか。
               カイルは銃弾を撃ち尽くしている。当然、それは男にとって反撃の好機。
               男が腰を落とし──しかし、そこで動きを止める。その身は、蔓植物(つるしよくぶつ)に背後から拘束されていた。
              「……あいにく、こっちは殴り合いに付き合えるほど頑丈じゃないんでな。騙(だま)し打ちくらいは大目にみろ」
               さきほどカイルが撃った五発の銃弾のうち、三発はわざと男から外していたのだ。背後の壁に着弾させ、そこを基点に《定戯式(ていぎしき)》を発動するために。
               カイルは好んで使うこの拘束用の術を、《蛇蔓(サーペント・バイン)》と呼んでいた。《定戯式》は決まった形のない、発想次第であらゆる現象を起こせると言われる技術だが、それには術者の高い集中力が必要になる。
               そこで有効になるのが、《ショートカット》と呼ばれる応用技術だ。あらかじめ求める結果を自分の中で想定し、何度も繰り返すことで頭に術のイメージを刷り込む。これにより迅速な術の発動が可能となる。術に名前をつけることもまた、求める現象のイメージをより強固なものとするための工夫の一環である。
              《蛇蔓(サーペント・バイン)》は単発でも大の男の動きを封じるに十分だ。それを三重に発動しているのである。力ずくでどうにかできるものではない。
               とりあえず、少女と共にこの場を離れようと考えるカイルだったが──
               ゴギン──耳を覆いたくなるような異音に硬直する。
              「……、嘘(うそ)だろ……?」
               その光景に、思わず引(ひ)き攣(つ)った声が漏れる。
               男の左腕が肩からだらりと力なく垂れ下がっている。明らかに肩を脱臼(だつきゆう)していた。
               関節を外すことでわずかに蔓(つる)の拘束に隙間(すきま)ができる。確保した可動域を使い、男は反対の手でコートの下からナイフを引き抜くと、蔓を切断していた。
              (自分で関節を外しやがった……!)
              頬(ほお)が引き攣る。
               肩を脱臼しているというのに、男は痛みを感じた素振りを見せない。むしろ、淡々と残りの蔓を切ろうとしている。その光景に、カイルの背筋を悪寒が走り抜ける。
              「……っ! 走れッ!」
               棒立ち状態のヴィータの手を引いて走りだす。
              「え? あわっ、あわわっ!」
               足をもつれさせながらもどうにかついてくるヴィータ。
              (なんだ、あの化物は……!)
               異常なまでに機敏(きびん)な動作といい、銃弾を躊躇(ためら)いなく腕で防いだことといい、ただの人間と呼ぶにはあまりに逸脱している。それらはすべて、自分の身体(からだ)が壊れることを厭(いと)わないが故に可能としていたのか。
              (薬か……?)
               ある種の薬物は脳内物質の過剰分泌を促し、痛みを感じなくさせるという。そうすることで筋力のリミッターを解除し、自身の身体の崩壊代償に常人を越える力を発揮することも不可能ではない。
               ちらりとヴィータを見る。あの怪人の狙(ねら)いはヴィータだった。それも、手にかけようとしたというよりは、身柄を欲していたように思う。
               ならば、この少女を見捨てればとりあえずカイルは安全になるかもしれない。だが──
               手の中には、小さなぬくもり。武器など握ったこともない、無垢(むく)な少女の手だ。カイルにはその小さな手を振りほどくことが、どうしてもできなかった。
               路地裏を走り続け、ヴィータは肩で息をしている。撹乱(かくらん)のために何度も角を曲がり、距離もそれなりに開いた。一度止まっても大丈夫だろう。そう判断してカイルが足を止めるや、ヴィータはぺたんと地面に座り込んだ。
               肩で荒い息をつくヴィータを横目に、カイルは拳銃(けんじゆう)の回転式弾倉をスイングアウト。空薬莢(からやつきよう)を落とし、ベルトにつけたポーチから銃弾を取り出すと、一発ずつ弾倉に詰めていく。
              「ハァ……ハァ……ハァ……、あの、だいじょぶ、です、か……?」
               息も絶え絶えに問うてくるヴィータ。むしろそっちが大丈夫かと問いたい。
              「大した怪我(けが)はねぇよ。それより、なんなんだあいつは? おまえを追ってきたみたいだが……本当に心当たりはないのか?」
              「いえ、ぜんぜん」
               ぶんぶんと首を横に振る。相変わらず緊張感はないが、嘘(うそ)をついている風でもない。
               どうやら、この少女からは有益な情報は得られそうもなかった。
              ──あの男の目的は二通り考えられる。ヴィータが記憶喪失を装った家出少女かなにかだと仮定すれば、それを保護しにきた家族か、その依頼を受けた人物となる。あるいは、なんらかの理由でヴィータを捕らえにきたかだ。
               身代金目的の誘拐というのも、イェソドではそうありえない話ではない。ここはイェソドの中では比較的治安のいい区画ではあるが、所詮(しよせん)それも五十歩百歩。他人を食い物にしようとする輩(やから)など、この街には掃いて捨てるほどいる。
              「ねえ、お兄さん」
               ヴィータが袖(そで)を引いてくる。


              IP属地:辽宁8楼2017-03-11 22:03
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                「カイルだ」
                「?」
                 きょとんと首をかしげるヴィータ。
                「名乗ってなかったろ。俺の名前はカイルだ」
                「じゃあ、カイさんで」
                「縮めなきゃいけないほど長くないだろ」
                「カイにゃん?」
                「なんで言いなおしたのかわからんが、それはやめろ」
                「むー、かわいいのに」
                 なぜか不服そうに唇を尖(とが)らせるヴィータ。
                (まったく……)
                 本当にとらえどころのない少女だ。こんな状況にもかかわらず、慌てた様子は一切ない。常識が欠落しているというか──浮世離れしている。世間知らずのお嬢(じよう)様、というよりは一切の『悪意』に触れることなく育った、純粋培養された人間とでも言おうか。
                 あるいは、あの怪人以上に得体が知れない気もする。とはいえ、無垢(むく)な瞳(ひとみ)で見上げてくる少女に対し、あの怪物じみた男のような不穏な空気は
                一切感じないのだが。
                「カイさんは、なんでわたしを助けてくれたんです?」
                「なんでって、そりゃ……」
                 沈黙したのは言葉が見つからなかったからだけではない。
                 背筋を氷の手で撫(な)でられるような悪寒を感じ、咄嗟(とつさ)にヴィータを抱きかかえ、その場を飛(と)び退(の)く。
                 直後、落下してきた影が、一瞬前までカイルが立っていた地面を粉砕した。
                 地面を蹴(け)り、襲撃者から距離をとる。間合いを開けてから相手を確認すると、予想通りそこにはあの外套(がいとう)の怪人がいた。その足元の石畳はひび割れ、破片を周囲に散らしている。
                「おいおい……」
                 直撃をくらっていれば、散らばっていたのは石の破片ではなくカイルの頭蓋骨(ずがいこつ)の中身だっただろう。
                 怪人が身を起こす。左腕はだらりと垂れさがったままだ。
                「……見逃しては、くれないみたいだな」
                 カイルはため息をつく。わずかな時間げんなりとうなだれ──再び顔を上げた時には、その目は苛烈(かれつ)な意思を宿していた。
                 逃げられないのなら──戦うしかない。
                「──ヴィータ、離れてろ」
                 ヴィータは指示に従い、素直にカイから離れる。
                (集中しろ──)
                 意識を切り替える。思考の一切が、闘争という単一の目的のために最適化される。
                 久しく味わっていない感覚。拡張された意識が、視界(しかい)をクリアにする。
                 いくら相手が怪物じみているといっても、所詮(しよせん)は四肢を備えた人間だ。動作の起こりを見極めれば、かわせない道理はない。
                 動作の起点は常に足だ。怪人が地を踏みしめ、たわめた膝(ひざ)に力を溜(た)め、わずかに右肩を引くのが手に取るようにわかる。
                (右手のナイフでの突き──狙(ねら)いは心臓)
                 怪人が動く。人間離れした加速は先刻承知済み。それも考慮して体を捌(さば)く。
                 一瞬で距離を詰める怪人。迫るナイフが掬(すく)いあげるような角度でカイルの胸を狙う。
                 半身を捻(ひね)りつつ、わずかに上半身を倒す。最小限の動きで男のナイフを回避。同時に、相手の右肩を左手で押しつつ、足につま先をひっかける。
                 体重に比して動きが速すぎるのが災いした。それだけで男は体勢を崩し、自らの突進の勢いのまま盛大に転倒。脱臼(だつきゆう)した左腕では受け身をとることもままならず、路面で跳ねる。その先の塀にぶつかってようやく停止した。
                 背中を打ったことで息が詰まったか、かすかな呻(うめ)き声(ごえ)が漏れる。
                 それだけの目に遭ってなお、即座に立ち上がろうとしたのはやはり異様ではあった。
                 だが、ダメージを与えることではなく、その位置取りこそがカイルの狙(ねら)いだった。
                「詰み(チエツクメイト)、ってな」
                 立て続けに拳銃(けんじゆう)の引き金を引く。放たれた弾丸は男の周囲の塀と石畳に着弾する。
                 一見して、なにかしらの変化が起こっているようには見えなかった。あるいは、ただ銃撃を外しただけか──観客がいればそう勘違いしただろう。
                 突如、石材が擦り合わされて軋(きし)む音が、男の足元で響く。
                 次の瞬間、音を立てて、怪人の周囲の石畳と塀が崩落した。大量の石材に飲まれ、怪人の身体(からだ)が背後の空間へと落ちていく。
                ──イェソドは高低差の多い街だ。坂や階段によって滑らかに高度が変わる場所もあれば、切り立った崖(がけ)のようになっている場所もある。カイルが逃げ込んだ──否(いな)、男を誘いこんだのは、まさしく後者だった。
                 しかし当然ながら、そう簡単に足場が崩壊するはずがない。その結果を導いたのは、カイルが撃ちこんだ銃弾に込められた《定戯式(ていぎしき)》だ。
                 石材はその継ぎ目に接合剤が使われている。発動した《定戯式》により、接合剤の成分が変質、劣化。これにより石材同士の結合力が弱まり、石材自体の重みを支えられなくなった。結果、周囲の足場ごと男を虚空(こくう)へと放(ほう)りだしたのである。
                 男は咄嗟(とつさ)に崩れる足場から安全な地面へ飛び移ろうとしたようだったが、力を込めた足場がさらに細かく分解され、それもかなわない。
                「……し……さま──!」
                 ここにきて初めてなにか声を発しながら──男は、石材と共に落下していった。
                 崩落した石材が急斜面を転がり落ちる音が響く。落差は二十メートルほどか。この下は民家もなく、人が寄りつかない地帯となっているので巻き添えが出ることもないはずだ。
                「あの人、だいじょぶですかねー?」
                 いつのまにかそばまできていたヴィータが、崩落した先を覗(のぞ)き込(こ)んで言う。
                「まあ、死にはしないだろ。……たぶん」
                 あれだけの運動能力があったのだ。運が良ければ骨折程度で済むだろう。……運が悪かった場合のことは考えないでおく。
                 なんにしろ、危機は脱したようだ。だが、問題は今後のことだった。
                (さて──なりゆきで助けちまったが……どうしたもんかね)
                 ヴィータ自身はあの男に心当たりがないということだったが、あちらはそうでもないらしい。ヴィータの身柄を狙(ねら)っているなら、組織的な動きである可能性が高い。カイルとしては、これ以上厄介事に関(かか)わるのは本意ではなかったが──
                「おまえはこれからどうするんだ?」
                「さあ?」
                 問うと、ヴィータは首をくりっと傾(かし)げる。
                「わたし、どこ行けばいいですかね?」
                「……そんなこと、俺が知るかよ」
                「それもそうですねー」
                 意識して淡白にあしらったが、ヴィータはというと応(こた)えた様子もなくなにやら納得していた。
                「それじゃあまあ、適当にその辺歩いてみます~」
                「そうか。じゃあな」
                「ではでは~」
                 とぼけたことを言いながら、ふらふらと路地へ向かって歩き出すヴィータ。その危機感のない行動に、カイルは頭を抱えたくなる。
                 さっきの男が何者かも、あの男に他に仲間がいるかどうかも分かっていないというのに。
                 本人が言う『記憶喪失』の真偽はともかくとして、イェソドでの生き方が身についていないのは明らかだ。あれでは早晩、よからぬ輩(やから)の手に落ちて悲惨な目に遭うことだろう。
                 カイルは悩ましげに天を仰ぎ、唸(うな)りながら俯(うつむ)き、髪をがしがしとかき回し──
                「……だあ、もう!」
                 結局、ふらふらと路地へ向かう少女の背中を追うのだった。


                IP属地:辽宁9楼2017-03-11 22:08
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