「いただきます」という言葉の意味
−−−そういうお話をお聞きすると、『リトル・フォレスト』に繰り返し出てくる「いただきます」という言葉がとても重く感じられます。
「いただきます」という言葉は、もちろん命をいただく、という意味が大きいのだと思いますが、時間をいただく、という面もありますよね。たとえば畑で野菜をつくるにしても、その工程というのはものすごく時間がかかっているわけで。森の木を切り、土を耕し、牛や馬や肥料などの力も借りて、何十年もかけて、ようやく作物がとれるわけです。肉や魚についても同じようなことが言えると思いますが、特に植物というものは、見ているだけでそれと接した時間がよみがえってくる。植物と接している時は、時計の針の動きとはまた別の時間が流れているような気がします。
−−−植物と言えば、人は食べるだけでなく、部屋に花を飾ったり庭で育てたりしますよね。また、何かおめでたいことがあった人に花束を贈ったり、逝ってしまった方に捧げたり......。
ええ。時間をかけて育てないといけない花というものは、そうしたいろいろな人の想いを表現しやすいものですから。芸術などと同じように、食べ物や衣服とは別の意味で、なくてはならないものだと思います。観賞用の花だけでなく、野菜の花もとてもきれいなんですよ。それこそ雑草と呼ばれるようなものの中にも、美しい花を咲かせるものもあります。
−−−ちなみに『リトル・フォレスト』という作品で、五十嵐さんが伝えたかったことはなんでしょう。
先ほどの島の話と重なりますが、たとえば農村で暮らす女性はとてもスキルが高いんです。子供の世話をして、旦那の世話をして、おじいさんやおばあさんの世話をしながら、家事もこなしつつ農作業も手伝う、というように。さらに庭の花もきれいに育ててるし、道に生えた草を刈ったり、山菜を保存食にしたりも。彼女たちにとっては当たり前の日常なのかもしれませんが、そういう姿を見てると単純にすごいなあ、と感心して。私にはとてもできません(笑)。でも単に生活のために苦労してるという感じでもなく、楽しんでるんです。そしてみんなものすごく充実した顔をしている。つまり、そういう生活をもっと顧みてもいいんじゃないかな、というのが『リトル・フォレスト』を描こうと思った最初の動機でした。本当に豊かな生活というのはそういうことなのではないか、という気持ちは今でも変わっていません。
人間はまだこの世界のことをほとんど知らない
−−−次に、五十嵐さんの代表作である『海獣の子供』についてお聞きします。この物語は、琉花(るか)という少女が、ジュゴンに育てられた海(うみ)くん、空(そら)くんという不思議な少年たちと出会うことで、世界の秘密に迫る冒険に巻き込まれてしまう壮大な物語ですが、作中で繰り返されている、我々は世界の一部なのだというのは、もともとお考えになっていたことですか。
そうですね。『海獣の子供』に限らず、学生の頃から感じていたことと、実際に山の中に住んで思ったことをいろんな漫画で描いているところはあります。ご質問と答えの論点が少しずれるかもしれませんが、都会で人工物だけに囲まれていると、目に映るものはすべて静止している。動いてないんです。ところが海や山の中では自分を取り囲むすべてが常に動いている。風や木や草に囲まれている環境が、自分がいちばん落ち着ける場所なのだと、ある時気づきました。数年前に岩手での生活を終えて、いったんは都内に引っ越ししたのですが、現在は緑の多い鎌倉に住んでいます。
−−−『海獣の子供』では、「我々が知っている自然はまだその一部にしかすぎない」というようなことも描かれていますよね。「この世界に在るもののうち、僕ら人間に見えているものなんてほんのわずかしかないんだ」という若き天才海洋学者・アングラードのセリフとか。
私たちは自分の目に入る範囲が世界のすべてだと思ってしまいがちです。情報による文化が発達した現代に生きていると、つい知っている気になってしまうと思うんです。地球上に知られていない場所はもうない、とか。ですが実際は、地球の大部分を占める深海に行ったことのある人間のほうが宇宙へ行った人間よりも少ない。人類はまだ、海やこの地球について知らないことのほうが多いはずなんです。
−−−話はちょっと戻りますが、農業は独学で?
そうです。近所の人に教わりつつ、基本的には本を読んだりしての独学です。なるべく手間はかけずにどう作物を育てるか、自分なりに試行錯誤しました。カボチャという名の猫も村に連れて行きましたが、その頃は完全にほったらかしでした。カボチャは盛岡市で拾った猫ですが、私よりもすばやく農村生活に順応してました(笑)。
−−−その愛猫との日常は『カボチャの冒険』というとてもかわいい作品集にまとめられています。ちなみにはじめて米や野菜を収穫した時は感動しましたか。
感動というよりは、これでなんとか食い物にありつける、とホッとした感じ(笑)。もしかしたらこの時に、さっきお話しした収穫までの時間をはじめて実感したのかもしれません。
−−−最後に、エンターテインメントで自然と人間のつながりを描く、ということについてお聞かせください。
漫画でなくても何かを表現しようという時は、自分の価値観がどうしても前面に出てしまうと思うんです。だから私の場合は、自然をテーマとしてあえて選んでいるわけでなく、描きたいものを描いたらこうなった、というのが正確なところだと思います。今後も自然との関わりについて描いていくとは思うのですが、作中で声高に環境問題などを訴える気はありません。もちろん自分なりの考えはありますが、読んでくださった方が私の漫画をきっかけとして、自然と自分のつながりをそれぞれが感じていただければ充分です。

聞き手・テキスト:島田一志 撮影(提供写真以外):水野聖二 撮影協力:お猿畠(鎌倉)