『内府ちかひ(違い)の条々』とは、関ヶ原の合戦の前に西軍が公表した、徳川家康の悪事を13ヵ条にまとめた告発文です。
その中には、次のような項目が挙げられています。
一、五大老の1人、前田利家が病死した後、その子利長の母親を人質に取った。
一、上杉景勝には何の落ち度もないのに征伐の出兵をした。
一、大名の知行には関与しないという約束に背き自分に都合の良い者にだけは、知行を与えている。
一、伏見城から留守居のものを追い出して占拠した。
一、10人(五奉行と五大老)のほかには誓紙を取り交わさないという取り決めを破って勝手に交換している。
一、政所様(豊臣秀吉の後室)を大坂城西の丸から追い出して、自分が居住している。
一、西の丸にも、御本丸と同じように天守を設けた。
一、諸将の妻子のなかで自分がえこひいきするものだけを国許へ帰している。
一、かつて縁組をしてはならないという誓約に(家康が)背いたので、それを2度としないとたしなめられて承知したのに、そのことを無視して相変わらず画策を進めている。
一、10人が揃って連判するべき文書に1人で署名押印している・・・・・・
等など徳川家康の自分勝手な行動を咎めた上で、「今回の会津出兵は、数々の誓約に違反し太閤様のお指図にも背き、秀頼様を見捨てて出陣したのであるから、われわれは相談の結果、武力を以って彼を制裁することとした。これに同意される諸将は来たり参じて秀頼様に忠節を尽くすべきである」と宣言しています。
このとき秀頼はまだ8歳でした。
上杉征伐・関ヶ原の合戦の始まりから結末まで
参考資料
・この一冊で義と愛の武将直江兼続がわかる 名参謀の決断と発想法【鈴村進】こう書房 2008年11月10日発行。