ソメイヨシノ10円
封書基本料金用として10年近く使われた「法隆寺金堂壁画」図案の10円切手に代わって、1961年4月1日に発行された普通切手が、「10円ソメイヨシノ」です。切手収集に目覚めた当時の筆者にとって、それまでのうす汚い10円切手に替わって登場した明るい色調のグラビア2色刷り普通切手は、心ときめかせる対象であった記憶がよみがえります。同じ時期に発行された花シリーズの「やまざくら」とは異なり、派手なピンク地のこの切手は、今から思えば少々どぎつい感が否めませんが、新しい時代のグラビア印刷が普通切手の世界をも制覇したことを象徴するものでした。
この10円切手は、登場後の5年間普通切手の主役として活躍したのちも、単位額面切手としてさまざまな用途に使用され、1972年2月にローマ字国名入り「しか」にバトンを渡すまでの10年余の間、莫大な量の切手が製造されました。製造面のバラエティもきわめて多く、中にはきわめて希少なものも存在します。この切手だけでひとつの切手展出品作品を構築できるほどです。
船便外信印刷物
この時期の国内封書料金10円は1951年11月から66年6月までの15年間続き、この間に多くの記念切手が10円額面で発行されましたが、コレクションを構築するときにそれら10円記念切手の使用例として役立つのがこの使用例です。1961年9月30日までの約10年間、外信船便印刷物の基本料金も10円であったため、10円記念切手を貼ったこの種の外信便が、郵趣界に数多く残されています。ただし利用できた期間の短い記念切手の場合は、かなりの高値で取引されるのが常のようです。
短期使用例としての価値
今回取りあげた普通切手の10円ソメイヨシノも、この用途に利用できた期間は半年間しかありません。その前の10円壁画貼りは、銭単位の場合も円単位の場合もありふれていますが、ソメイヨシノ貼りはなかなかお目にかかれません。今回紹介のカバーはその「なかなかお目にかかれない使用例」です。ただし期間が短いとは言っても、期間が半年間「も」あれば、それほど希少なものでないような気もします。高値がつくのは、人気先行の感が否めません。
このソメイヨシノ貼りの短期使用例としては、他に昭和37年の封書年賀便が有名で、こちらの方もかなりの高値で取引されるのが常です。封書扱いの年賀状はもともと少ないものである上に、翌38年からは封書の年賀扱いが廃止されてしまい、ソメイヨシノ貼りの年賀状は昭和37年だけしか存在しないためです(その後昭和61年から復活)。

封書基本料金用として10年近く使われた「法隆寺金堂壁画」図案の10円切手に代わって、1961年4月1日に発行された普通切手が、「10円ソメイヨシノ」です。切手収集に目覚めた当時の筆者にとって、それまでのうす汚い10円切手に替わって登場した明るい色調のグラビア2色刷り普通切手は、心ときめかせる対象であった記憶がよみがえります。同じ時期に発行された花シリーズの「やまざくら」とは異なり、派手なピンク地のこの切手は、今から思えば少々どぎつい感が否めませんが、新しい時代のグラビア印刷が普通切手の世界をも制覇したことを象徴するものでした。
この10円切手は、登場後の5年間普通切手の主役として活躍したのちも、単位額面切手としてさまざまな用途に使用され、1972年2月にローマ字国名入り「しか」にバトンを渡すまでの10年余の間、莫大な量の切手が製造されました。製造面のバラエティもきわめて多く、中にはきわめて希少なものも存在します。この切手だけでひとつの切手展出品作品を構築できるほどです。
船便外信印刷物
この時期の国内封書料金10円は1951年11月から66年6月までの15年間続き、この間に多くの記念切手が10円額面で発行されましたが、コレクションを構築するときにそれら10円記念切手の使用例として役立つのがこの使用例です。1961年9月30日までの約10年間、外信船便印刷物の基本料金も10円であったため、10円記念切手を貼ったこの種の外信便が、郵趣界に数多く残されています。ただし利用できた期間の短い記念切手の場合は、かなりの高値で取引されるのが常のようです。
短期使用例としての価値
今回取りあげた普通切手の10円ソメイヨシノも、この用途に利用できた期間は半年間しかありません。その前の10円壁画貼りは、銭単位の場合も円単位の場合もありふれていますが、ソメイヨシノ貼りはなかなかお目にかかれません。今回紹介のカバーはその「なかなかお目にかかれない使用例」です。ただし期間が短いとは言っても、期間が半年間「も」あれば、それほど希少なものでないような気もします。高値がつくのは、人気先行の感が否めません。
このソメイヨシノ貼りの短期使用例としては、他に昭和37年の封書年賀便が有名で、こちらの方もかなりの高値で取引されるのが常です。封書扱いの年賀状はもともと少ないものである上に、翌38年からは封書の年賀扱いが廃止されてしまい、ソメイヨシノ貼りの年賀状は昭和37年だけしか存在しないためです(その後昭和61年から復活)。
