历史
由来书によれば、北畠具房の4代孙铃木孙兵卫家次が寛永20年(1643年)3月、旧縁の地に小祠を设けて北畠八幡宫と称したのが创祀という。ただし、当初は八幡神の勧请のみで、顕能を奉祀したのは元禄年间に下るとの说もある[1]。やがて八幡三神に仿い、北畠亲房・顕家も合祀。别当寺の真善院が现在の庭园の位置にあったが、1898年(明治31年)廃绝した。
1881年(明治14年)11月村社北畠神社と改称。1907年(明治40年)12月多芸村内の16社を合祀する。1916年(大正5年)宝库・社务所などを整备。1928年(昭和3年)10月に社殿を新造して主神を迁座、11月10日に别格官币社に升格した。