
まず一人称について。日本语では一人称に当たる言叶が実に多彩である。笔者の経験をいえば、少年时代には「おれ」と「ぼく」を使い分けていた。时におどけて「おいら」といったり「わし」といったりもした。ところが就职して社会人になると「わたし」というようになり、改まった场では「わたくし」といっていた。定年を过ぎたいまでは、再び少年时代に舞い戻って、「おれ」ということが多くなった。
これだけ见ても一人称にあたる言叶は多様である。この外、文章言叶として、「小生」、「拙者」、「我辈」等々枚挙にいとまがない。英语が「アイ」ひとつしかないのに比べると、大変な相违である。
「おれ」は「己」の简略した言い方で、もともと二人称に使われていたものが、いつのまにか自分自身についても使われるようになったものである。しかも当初は男女いづれもが使っていた。现在のような形に定着したのは、そう古いことではない。
「わたし」或いは「わたくし」は、もともと「おほやけ=公」に対する「私」を指し、プライベートな事柄をさす普通名词であった。これが一人称に転じて使われるようになったのは中世以降で、「日葡辞书」にもその用法が载せられている。现代でも原义のまま使われることがある。
「わし」はこのわたくしが简略化した形で、「あっし」、「わちき」、「あたし」、「あたい」などの変形も使われた。「ぼく」は「仆」のことで、自分を卑下する言い方として徳川时代に広まったものだ。长らく男子の言叶であったが、最近では女子にも「ぼく」というものが増えているようだ。
上古には「あ」、「あれ」、「われ」などが一人称をさす代表的な言叶だった。古事记にも、ヤマトタケルが妻をしのんで「あつま」といっている。これはわたしの妻よという意味である。「われ」はまた相手を骂る际にも使われたが、これは「おのれ」と同じような使い方だったといえる。
二人称のほうも多様である。「きみ」、「あなた」に始まり、「あんた」、「お前」、「てめえ」、「きさま」のほか、书き言叶しての「贵殿」、「そなたさま」などがある。
「きみ」はもともと高贵な人をさす普通名词だった。君が代は天皇が治める世の中という意味である。それが相手を尊敬する念を込めて二人称として使われるようになった。「あなた」は「山のあなたの空远く」という诗の文句があるように、はるか离れた场所という意味だった。これが直接面と向かって相手をさすのをはばかる気持ちが働き、二人称として取り込まれたものである。
上古には、二人称の代表的なものは「な」、「なれ」であった。「なんじ」はこれが転じたもので、主に汉语的な表现の中で用いられた。「われ」系统の言叶が今日でも残っているのに対し、こちらは死语になってしまった。やはり、相手に言及する言叶には、一种魔术のような响きがあり、その分人々にはばかられて、长く使われることがないのだろう。
一人称、二人称に比较して三人称をさす代名词は非常に少ない。现代语では、人については「彼」、「彼女」、ものや事柄については「それ」が一般的だろう。「それ」はもともと场所の位置関系を表す代名词で、「これ」に対立する観念を表す言叶である。「かれ」にも「これ」に対立する要素が含まれているといえる。
こんなわけで日本语における人称表现は、それ自体が多様であるのに加えて、歴史的にさまざまな変迁を経てきている。ヨーロッパの人称代名词が、数もひとつでしかも不変なのと比べると、大きな相违がある。
これだけ见ても一人称にあたる言叶は多様である。この外、文章言叶として、「小生」、「拙者」、「我辈」等々枚挙にいとまがない。英语が「アイ」ひとつしかないのに比べると、大変な相违である。
「おれ」は「己」の简略した言い方で、もともと二人称に使われていたものが、いつのまにか自分自身についても使われるようになったものである。しかも当初は男女いづれもが使っていた。现在のような形に定着したのは、そう古いことではない。
「わたし」或いは「わたくし」は、もともと「おほやけ=公」に対する「私」を指し、プライベートな事柄をさす普通名词であった。これが一人称に転じて使われるようになったのは中世以降で、「日葡辞书」にもその用法が载せられている。现代でも原义のまま使われることがある。
「わし」はこのわたくしが简略化した形で、「あっし」、「わちき」、「あたし」、「あたい」などの変形も使われた。「ぼく」は「仆」のことで、自分を卑下する言い方として徳川时代に広まったものだ。长らく男子の言叶であったが、最近では女子にも「ぼく」というものが増えているようだ。
上古には「あ」、「あれ」、「われ」などが一人称をさす代表的な言叶だった。古事记にも、ヤマトタケルが妻をしのんで「あつま」といっている。これはわたしの妻よという意味である。「われ」はまた相手を骂る际にも使われたが、これは「おのれ」と同じような使い方だったといえる。
二人称のほうも多様である。「きみ」、「あなた」に始まり、「あんた」、「お前」、「てめえ」、「きさま」のほか、书き言叶しての「贵殿」、「そなたさま」などがある。
「きみ」はもともと高贵な人をさす普通名词だった。君が代は天皇が治める世の中という意味である。それが相手を尊敬する念を込めて二人称として使われるようになった。「あなた」は「山のあなたの空远く」という诗の文句があるように、はるか离れた场所という意味だった。これが直接面と向かって相手をさすのをはばかる気持ちが働き、二人称として取り込まれたものである。
上古には、二人称の代表的なものは「な」、「なれ」であった。「なんじ」はこれが転じたもので、主に汉语的な表现の中で用いられた。「われ」系统の言叶が今日でも残っているのに対し、こちらは死语になってしまった。やはり、相手に言及する言叶には、一种魔术のような响きがあり、その分人々にはばかられて、长く使われることがないのだろう。
一人称、二人称に比较して三人称をさす代名词は非常に少ない。现代语では、人については「彼」、「彼女」、ものや事柄については「それ」が一般的だろう。「それ」はもともと场所の位置関系を表す代名词で、「これ」に対立する観念を表す言叶である。「かれ」にも「これ」に対立する要素が含まれているといえる。
こんなわけで日本语における人称表现は、それ自体が多様であるのに加えて、歴史的にさまざまな変迁を経てきている。ヨーロッパの人称代名词が、数もひとつでしかも不変なのと比べると、大きな相违がある。
