
金メダリスト・冨田洋之が考える「美しい体操选手を育てる第一歩」
2014.11.01
折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi
10月特集 东京オリンピック 1964の栄光、2020の展望(13)
世界王者の内村航平が、「最大の目标は団体での金メダル获得」という理由――。それは彼にとって、アテネ五轮での28年ぶりとなる「団体金メダル获得」の感动が、心に强烈に焼きついているからだ。その立役者となったのが、当时のエース・冨田洋之。「美しくなければ体操ではない」と言い切り、日本の伝统であった『美しい体操』と『完成度の高さ』を体现した男だ。2008年に现役を退いたあとは、日本オリンピック委员会の専任コーチとして日本代表チームに帯同。ロンドン五轮后は国际体操连盟の技术委员に就任し、今年の世界选手権には审判として参加している。现在も世界最高レベルの技术を追い続けている冨田氏に、日本体操界が目指すものを闻いた。

现在、母校の顺天堂大で后辈の指导も行なっている冨田洋之
「2009年からコーチとして日本代表チームに帯同しましたが、代表が决定してから2~3ヶ月间は一绪に合宿をするので、自身の経験を伝えたり、コンディション作りを手伝うのが(选手にとって)一番必要なことだと思って、自分なりに指导をしていました。选手たちは、自分の特徴を武器に代表になったわけですから、まずはその部分を伸ばすことを考えて……。
自分が美しさにこだわってきたからといって、それを押しつけるようなことはしないですね。ただ、日本の选手は基本的にはEスコア(※)を重视している选手が多く、难しい技ができればオッケーという考え方ではないので、それをいかに美しく、简単にやっているように见せるか、ということへのこだわりは强いと思います」
※Eスコア=演技の完成度を示す得点で、ミスをすると10点満点から减点される。
新しくコーチという立场になっても、冨田氏は选手の自主性を重んじるスタンスだと语る。それは、あえて教えなくても、冨田氏の求めてきた体操は后辈たちに引き継がれている……ということだろう。しかし、2004年のアテネ五轮を最后に、日本は団体で中国の壁を崩せないでいる。
「(中国との)力の差はそこまで开いているわけではないし、(日本は)胜ってもおかしくない実力を持っています。2010年と2011年の世界选手権、そして2012年のロンドン五轮では、すべて日本が自灭してしまったので……。ただ、难度の高い技を入れていかなければならないときに、ミスを出して负けてしまいました。また、内村(航平)が主轴としてずっとチームを引っ张ってくれていますけど、他のメンバーは(大会ごとで)入れ代わっています。いい意味で固定されてくる选手がどんどん生まれてこないと、日本チームとしての习熟度は高まってこないと思います」
ロンドン五轮での反省点は、「コンディション作り」だと冨田氏は指摘する。その结果、予选ではミスが続出し、5位通过となった。さらに、决胜でも跳马で山室光史が足をケガしたことで、すべての歯车が狂ったという。
「アクシデント后も粘り强く戦ったけど、メンバーが代わった(山室→田中和仁)あん马だけは対応しきれなかったですね。その不运を、精神的にも肉体的にも内村ひとりに背负わせてしまったことが、彼自身のミスにつながったところもあるので……。やっぱり団体はひとりでは胜てないし、いくらひとりが顽张ってもできることは限られている。他のメンバーが、いかに内村をカバーできるような演技をやれるか、ですね」
2014.11.01
折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi
10月特集 东京オリンピック 1964の栄光、2020の展望(13)
世界王者の内村航平が、「最大の目标は団体での金メダル获得」という理由――。それは彼にとって、アテネ五轮での28年ぶりとなる「団体金メダル获得」の感动が、心に强烈に焼きついているからだ。その立役者となったのが、当时のエース・冨田洋之。「美しくなければ体操ではない」と言い切り、日本の伝统であった『美しい体操』と『完成度の高さ』を体现した男だ。2008年に现役を退いたあとは、日本オリンピック委员会の専任コーチとして日本代表チームに帯同。ロンドン五轮后は国际体操连盟の技术委员に就任し、今年の世界选手権には审判として参加している。现在も世界最高レベルの技术を追い続けている冨田氏に、日本体操界が目指すものを闻いた。

现在、母校の顺天堂大で后辈の指导も行なっている冨田洋之
「2009年からコーチとして日本代表チームに帯同しましたが、代表が决定してから2~3ヶ月间は一绪に合宿をするので、自身の経験を伝えたり、コンディション作りを手伝うのが(选手にとって)一番必要なことだと思って、自分なりに指导をしていました。选手たちは、自分の特徴を武器に代表になったわけですから、まずはその部分を伸ばすことを考えて……。
自分が美しさにこだわってきたからといって、それを押しつけるようなことはしないですね。ただ、日本の选手は基本的にはEスコア(※)を重视している选手が多く、难しい技ができればオッケーという考え方ではないので、それをいかに美しく、简単にやっているように见せるか、ということへのこだわりは强いと思います」
※Eスコア=演技の完成度を示す得点で、ミスをすると10点満点から减点される。
新しくコーチという立场になっても、冨田氏は选手の自主性を重んじるスタンスだと语る。それは、あえて教えなくても、冨田氏の求めてきた体操は后辈たちに引き継がれている……ということだろう。しかし、2004年のアテネ五轮を最后に、日本は団体で中国の壁を崩せないでいる。
「(中国との)力の差はそこまで开いているわけではないし、(日本は)胜ってもおかしくない実力を持っています。2010年と2011年の世界选手権、そして2012年のロンドン五轮では、すべて日本が自灭してしまったので……。ただ、难度の高い技を入れていかなければならないときに、ミスを出して负けてしまいました。また、内村(航平)が主轴としてずっとチームを引っ张ってくれていますけど、他のメンバーは(大会ごとで)入れ代わっています。いい意味で固定されてくる选手がどんどん生まれてこないと、日本チームとしての习熟度は高まってこないと思います」
ロンドン五轮での反省点は、「コンディション作り」だと冨田氏は指摘する。その结果、予选ではミスが続出し、5位通过となった。さらに、决胜でも跳马で山室光史が足をケガしたことで、すべての歯车が狂ったという。
「アクシデント后も粘り强く戦ったけど、メンバーが代わった(山室→田中和仁)あん马だけは対応しきれなかったですね。その不运を、精神的にも肉体的にも内村ひとりに背负わせてしまったことが、彼自身のミスにつながったところもあるので……。やっぱり団体はひとりでは胜てないし、いくらひとりが顽张ってもできることは限られている。他のメンバーが、いかに内村をカバーできるような演技をやれるか、ですね」
