中启(ちゅうけい)とは、扇の一种。末広(すえひろ)ともいう。
中启は亲骨が要よりも外侧に反ったかたちをしており、折りたたんだ时、银杏の叶のように扇の上端がひろがる。「启」とは「启く」(ひらく : 开く)という意味で、折り畳んでいながら上端が「中ば(半ば)启く」という状态から中启と名付けられた。
日本で発明された扇はもともと骨の片面に纸を贴ったもので、これは开くと扇の裏面に骨が露出するという形式であった。日本の扇が中国に输出されると、中国では両面に纸を贴る形态に改造された。これが日本に逆输入され、日本でも室町时代には両面に纸を贴ったものが作られるようになったが、そうすると畳んだ时の厚みが倍となるので、おのずと扇の上端が広がる格好となる。これが中启の起りである。そののち扇の制法が进み、両面贴りでも现在见られる末が広がらない扇(これを沈折〈しずめおり〉という)が造られるようになるが、中启は末の开いたままの状态を维持し、公家や武家において笏のように仪礼の具とした。公家では桧扇を扇の中でもっとも正式なものとしたが、中启はその桧扇に次ぐものとされ、徳川家をはじめとする大名家では直垂・布衣・大纹着用の际の持ち物とされた。また能や狂言、さらに歌舞伎の舞台でも使われ现在に及んでいる。なお朝廷や公家においては中启は末広と呼ばれたが、武家や能狂言等で使うものとは微妙に形式が异なりそれらとは区别されたという。
中启は亲骨が要よりも外侧に反ったかたちをしており、折りたたんだ时、银杏の叶のように扇の上端がひろがる。「启」とは「启く」(ひらく : 开く)という意味で、折り畳んでいながら上端が「中ば(半ば)启く」という状态から中启と名付けられた。
日本で発明された扇はもともと骨の片面に纸を贴ったもので、これは开くと扇の裏面に骨が露出するという形式であった。日本の扇が中国に输出されると、中国では両面に纸を贴る形态に改造された。これが日本に逆输入され、日本でも室町时代には両面に纸を贴ったものが作られるようになったが、そうすると畳んだ时の厚みが倍となるので、おのずと扇の上端が広がる格好となる。これが中启の起りである。そののち扇の制法が进み、両面贴りでも现在见られる末が広がらない扇(これを沈折〈しずめおり〉という)が造られるようになるが、中启は末の开いたままの状态を维持し、公家や武家において笏のように仪礼の具とした。公家では桧扇を扇の中でもっとも正式なものとしたが、中启はその桧扇に次ぐものとされ、徳川家をはじめとする大名家では直垂・布衣・大纹着用の际の持ち物とされた。また能や狂言、さらに歌舞伎の舞台でも使われ现在に及んでいる。なお朝廷や公家においては中启は末広と呼ばれたが、武家や能狂言等で使うものとは微妙に形式が异なりそれらとは区别されたという。