【美浓-明智城】
别名名 长山城、明智长山城
城郭构造 连郭式山城
天守构造 建造されず
筑城主 土岐明智二郎頼兼
筑城年 康永元年(1342年)
城主 明智氏
筑城年代は定かではないが明智頼基によって筑かれたと云われる。明智氏は美浓国守护土岐成頼の子土岐頼基が可児郡明智八郷を领して明智氏を名乗った事に始まる。
天文21年(1552年)明智定明は斎藤道三と戦って讨死し、一族は离散し、定明の子定政は家臣に守られて菅沼常陆介を頼って落ち、后に徳川家康に仕えて土岐氏に复姓したという。
戦国时代に织田信长に仕えた明智光秀の出自については定かではないが、一般的にこの明智氏の一族といわれる。
明智城は别名を长山城(おさやま)と呼ばれ、东西に长く延びた丘陵に筑かれている。现在は公园として整备されており、二の丸、本丸、马场などの标柱が建ている。桔梗坂を北へ降りて行くと大手门として冠木门が建てられている。




