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【现代连载】日刊现代连载

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1楼2013-09-27 19:09回复
    9月12日
    中3で全国制覇の松井裕树 スカウトに「なんでオレだけ。ホント、嫌だ」
    松井を知る者は口を揃えて、「无邪気」「とにかくよくしゃべる」と话す。
     桐光学园の同级生で、中学生の时に在籍していた绿东シニアからのチームメートの铃木航介が「悪くいえばちゃらんぽらん」と言えば、年上からは「甘えん坊」と评される。
     やはり绿东シニアで共にプレーし、崎玉・花咲徳栄のエースとして活跃した関口明大(3年)はこう话す。
    「声が大きくて、ワイワイやるのが大好きでしたけど、みんなの中心にいるというタイプじゃない。轮の外侧で、みんなを盛り上げることが多かった」
     関口は「当时、こんなことがあった」と続ける。
    「松井は当时からアマチュア球界では名前が知られていましたから、绿东シニアのグラウンドにもいろいろな人が来ていました。登板日はもちろん、松井が投げない日や、练习だけの日もよく大人たちが来ていました」
     有望な选手を获得したい强豪高校の関系者はもちろん、将来の逸材をチェックするプロのスカウトも姿を见せていた。
     ところが、松井はそうした大人たちを见てもニコリともしなかった。ネット裏で明らかにそれとわかる関系者たちが、松井を指さし、ヒソヒソとやっている。そんな光景から、松井は目を背けた。
     腕一本で高校野球どころか、プロからも注目を浴びる。多感な中学生ならば、テングになってもおかしくない。事実、松井にはそれだけの力と才能があった。
    <中学3年生で全国制覇>
     しかし、チームメートが「おい松井、今日もスカウトが来てるぞ」と感叹しても、「あ、そう」とそっけなかった。
     そんな态度を不审に思っていた関口らに、松井は「ホント、嫌なんだよ」と话した。
    「なんでオレだけなんだよ。他の选手も见て欲しいのに……。オレだけじゃなくて、周りも见てやってくれよ」
     もちろん、言叶通りの思いはあっただろう。
     绿东シニアは松井が中学3年生だった10年夏、日本选手権で全国制覇している。当时は坂本秀仁(山梨学院・3年)と松井が左腕の二枚看板。関口や、后に桐光学园のチームメートとなる铃木もスタメンに名を连ね、打线の援护にも恵まれていた。决して松井のワンマンチームではなかった。
     しかし、松井が本当に嫌だったのは、自分がチーム内で浮いてしまうことだった。
     野球では他を寄せ付けぬ力を発挥しても、その実は无邪気な甘えん坊。先辈に対するタメ口も、松井にとっては「ワイワイやる」ためのひとつの手段だった。突出するより、みんなの轮の中にいることの方が大事だった。
     桐光学园に进学したこともそれと无関系ではない。


    2楼2013-09-27 19:13
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      9月17日
      松井裕树も“赤点”で洗礼…桐光野球部の耻ずかしい「罚」
      <小中学校では优等生>
      「最近は塾通いでやめちゃう子が多いんですよ。今年も三游间の要だった三塁手が塾に行くためにウチをやめた。少年野球というのも、なかなか难しいものです」
       こうボヤくのは、元石川サンダーボルトの佐々升代表だ。
       松井は小学生时代、野球と塾を両立。元石川サンダーボルトのエースとして活跃しながら、山内小学校ではほとんどの科目で90点以上。山内中学校でも好成绩をキープしていた。
       松井が进学した桐光学园は神奈川県内でも有数の进学校。早庆上智に进学する者が多く、数こそ少ないが东大や京大に合格する者もいる。入学する际の受験では特进クラスのSAコースと、それ以外のAコースに分かれており、Aでも偏差値66(14年度)だ。他の野球强豪校の例に漏れず、高校から入学した生徒向けに「スポーツ特进クラス」が1クラスあり、松井はここにいる。体育会系の生徒の中でも选抜された者しか入れない「スポーツ特进クラス」だが、野球部OBの多くは、「他の强豪校の选手と话すと、ウチは授业も试験もレベルが高かった」と话す。
       野球だけやっていればいい、という环境ではない。松井は1年の1学期末の试験で赤点を取ってしまい、桐光野球部の伝统となっている「罚」を食らうことになる。
      <グラウンドの横で勉强>
       1年先辈で东农大1年の宇川一光はこう话す。
      「赤点を取った选手は、グラウンドと向き合いながら勉强をしなきゃいけないんですよ。仆も1年の时に1度だけあった。あれはイヤでしたね」
       宇川と同级生で国士舘大1年の田中拓梦もこう言う。
      「グラウンドのベンチ裏に通路があって、そこに长机が置かれる。赤点を取ると课题が出るので、それをすべて终わらせないと练习に参加させてもらえない。练习の时はもちろん、试合の时でもやらされますからね」
       远目にはスコアをつけているようにも见えるが、机に広げているのは教科书とノート。
      「仆も1年の时に1度。试合で来た対戦相手の选手たちにも、『こいつら、何やってんだ?』って引かれるんですよ。あれは耻ずかしかった」
       とは田中だ。
       高校は中学よりも授业が多い。その上で练习もこなさなければならない。桐光の野球部に入った1年生の多くは、1学期の期末试験で赤点を取り、この“洗礼”を浴びることになる。松井も例外ではなかった。
       今でこそ先辈后辈の垣根が低い桐光だが、その惯习が出来たのは松井が1年生の秋から。当时はまだ野球强豪校に劣らず规律は厳しく、松井もタメ口で话すどころか、惯れない环境に肩身を狭くしていた。そんな中で先辈の练习を见ながら勉强しなければいけないのだから、よほどこたえたのだろう。
      「あれを一度経験したら、勉强をしなきゃって気にはなりますよ。少なくとも、赤点だけは绝対に避けようって」
       とは宇川。その言叶通り、松井が赤点を取ったのは1度だけだった。


      4楼2013-09-27 19:16
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        9月25日
        绿东シニア时代のライバルが语る“ドクターK”松井裕树
        <「松井の投げる试合は长くなる」>
         松井が、かつての仲间と投げ合った今年5月の関东大会。相手は崎玉県の强豪、花咲徳栄。绿东シニアで共に汗を流した関口明大が、エースとして松井の前に立ちふさがった。
        「シニア时代の松井は、力でグイグイ押すタイプ。三振も多いんですけど、球数も多かった。だから、松井が投げる试合は长くなるんですよね」
         関口はシニア时代を振り返って苦笑いする。小学生の时からエースを张る松井に対し、関口が投手になったのは高校进学后。それまでは内野手だった。
        「投手として松井を意识? できませんよ。レベルが违いすぎますから。投手転向后にピッチングの话をしたこともありますけど、松井に『これはこうだよな?』と言われると、仆は『あー、そうかも』と合わせることしかできなかった。仆なんかと比べたら耻ずかしいですよ」
         そんな2人が関东大会2回戦で投げ合った。
        「ただ、松井のことは投手として尊敬していますけど、仆も负けず嫌いですからね。ライバルなんておこがましいけど、元チームメートに负けたくないという思いはあった。松井に投げ胜ったら、明日の新闻の1面はオレだ!って気持ちもありました」
         笑いながら言う関口だが、试合は接戦。花咲徳栄は三回までに6三振と松井に苦戦しながら、四回に先制。一方、関口は五回まで1安打に抑えた。
         花咲徳栄は六回に2点を加点し3―0とリードを広げたが、その直后に関口が3失点。试合は振り出しに戻り、决着がついたのは延长十二回。関口から右前打を放った松井が、9番打者の中前打でサヨナラのホームベースを踏んだ。
         3―4で负けたとはいえ、関口に悔しさはなかった。ともに延长十二回を完投。18夺三振の松井には及ばなかったものの10三振を夺って、最后まで一进一退の投げ合いを缲り広げた。
        <「お互いに、いい投球ができたな」>
        「スッキリした気分でした。终わった直后に、思わず松井にメールで『ナイスピッチング!』と送ったくらい。その后、电话でも『お互い、いいピッチングができたなあ』と话しました。この试合からですね。仆が『投手として自信を持ってもいいのかもしれない』と思えるようになったのは」
         夏の崎玉県大会の4回戦、大宫西戦ではノーヒットノーランを达成。松井との投げ合いが、関口を大きく成长させた。
        「いつか将来、松井とまた対戦したいですね。理想はウチの正捕手の若月(健矢)も敌に回って、松井とバッテリーを组んでほしい。松井も若月について、『いい捕手だから组んでみたい』と言ってましたから」
         若月はプロ志望届を高野连に提出。関口は大学に进学して、さらなるステップアップを目指す。


        7楼2013-09-27 19:21
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