唤醒春天吧 关注:114贴子:2,445

【收藏】《十年后》引出的一些感想 + 四季の话(アキヒカ)

只看楼主收藏回复

一楼百度


1楼2013-08-30 18:08回复
    「四季の话」是莲太太今年po在p站上的棋魂亮光同人系列文,不过因为我既打不开她的个人站,也没有读过除《十年后》以外的她的作品,所以不敢确定这个系列到底是旧文新贴,还是新连载……
    个人感觉前一种的可能性大一点,如果真是后者的话那绝对是超过十三年的坚持了呢(足够我爬墙爬几圈了= =bbb 诶,好想去翻翻太太的推特确认一下/=\
    以下是我的非法搬运,喜欢请去p站打分,id在楼上。


    4楼2013-08-30 18:56
    收起回复
      2025-05-14 19:10:03
      广告
      春の话
      春。
       告白するのにはいい季节だ。
       どうせ终わらせるのなら明るいところにしたいと思っていた。暗いところや闭じ込められたところではなく。
       氷が溶けてその下に眠っていた何かが动き出したように、今まで少しも见えていなかったものが否応なしに目に映るようになったのだ。自分の気持ちも。そうしたらそれはもう无视することができなくなった。
       手に入れようとして手に入るとはとても思えず、かといって黙って忘れ去るには大きすぎた。壊してしまわないと一歩も前に进めないような恋だと思っていた。
      「すごい风だな」
       夕暮れにさしかかった都心の歩道桥の上。进藤が仆を振りかえって言った。市河さんの结婚式のパーティに呼ばれた帰り、仆は彼と二人で歩いていた。
       空は微妙な色具合だった。光线が彼の明るい髪の色をますます辉かせた。
      「塔矢?何ぼうっとしてるんだ」
      「君はそういう人はいないのか?」
       仆は先ほどまでの话の続きのように话し出した。
      「今现在彼女がいるかどうかってことか?」
       彼は少し黙った。唐突な闻き方に笑いもしなかった。
       彼女。何だかちっともそぐわない気がした。普通の返答なのに。
      「それなら答えはノーだけど」
      「じゃあ、谁かを爱したことは」
      「あるよ」
      「心から?」
      「心の底の底から」
       歩道桥の手すりに両肘をかけて、ごくさりげなく。仆は思いのほか动揺してしまった。彼は真面目な颜でこちらを见ていた。仆がいつそれを言い出すのかと待っていたのではないかという気がした。
       仆は片方の腕のスーツの袖を握り缔めた。
      「その人と寝たいと思った?」
      「…それは」
       彼はわずかに横を向いて目をそらすと、笑った。
      「微妙だな。最初からそういうことが可能な间柄じゃなかったし」
       コートも着ていない薄着の彼の、上着の裾が风になびいた。寒そうだ、と思った。仆はネクタイを外して缓めた彼の衿元から手を入れてその素肌を暖めたいと切実に愿った。
      「さわりたい、とは思ってた。あの顷はよくわかっていなかった。そういう意味じゃ、おあずけをくらった犬みたいだったな」
      「今は…」
      「そいつは死んだから」
       何となく予想していた答え。
       それが、以前闻いたことのある彼の师匠なのかと想像したが闻きたいとは思わなかった。不思议とどうでもよかった。それよりも。
       その相手がもういないのだと知って心底ほっとした。一方で、手の出しようのない事柄への焦りで胸が焼けそうになった。彼にこんな颜をさせていることが憎らしかった。それから。ほんの少しだけ、彼がそれほど好きな相手を失ったのだと思って胸が痛んだ。
       后になって、ひょっとすると彼の方は仆の気持ちにもっと前から気がついていたのかもしれない、と思った。仆が逡巡している间に。その证拠に、
      「俺はもう待ってはいないし、ないものねだりもしていない。だから」 ———试しに口说いてみたらどうなんだ? と、笑いながら言ったのだった。「饮み直そうか」
       封を切っていない、ま新しい酒瓶をためつすがめつして彼は言った。
      「贳っても処置に困るんだよな。お前のところなら使い道があるかもしれないけど。どれがいい?」
      「なんでも」
       じゃあこいつ、と吟醸酒の一本を手にして。突っ立っている仆に构わず陶器の器になみなみと注ぎ始めた。リビングには白木のテーブルとごくシンプルな布张りのソファ。仆はまだ呆然として、彼の部屋に二人でいる自分が信じられずにいた。歩道桥の上で彼が言ったことの真意も计れなかった。
       薄い陶磁器の中に揺れる透明な液体。それを见つめているうちに、马鹿みたいに后手に回っていることに今更のように気づいて自分が可笑しくなる。最初から何も失うものなどないというのに。
       仆は一息にそれを喉に流し込んで空になった杯をテーブルに落とした。こちらに横颜を向けている彼の両肩を引き寄せる。背中から腕を回して力を込めて抱きしめた。杯が倒れる乾いた音がした。
      「进藤。どういうつもりなんだ」
      「苦しいよ」
      「冗谈事じゃない。仆は、ずっと」
       彼の肩先に颜を埋めて。何も感じている余裕はなかった。
      「もうずっと、君のことだけを见てる。他の谁も欲しくない。君にしか触れたいと思わない」
      「俺は男だよ」
      「関系ない」
      「俺が构うとは思わないのか。胜手だな」
       仆は唇を噛んだ。そう言いつつ、彼はとても平静だった。落ち着きすぎるくらい落ち着いていた。仆の腕の中にある体のどこにも何の力も入っていなかった。
      「…君だってそんなことにはこだわっていないじゃないか」
       微笑う気配がした。
       片方の掌で彼は自分を抱いている仆の手に触れた。柔らかく、しかし断固たる力で体に回された腕を解く。
      「塔矢。さっきの台词」
       振り返りざま、どこか切迫した表情で仆の目を捉えて。
      「目を见て言ってくれよ。俺の中の谁かの影じゃなく、ここにいるこの俺だけが好きなんだと」
      「………」
      「そうしたら俺もお前にやる。俺は欠陥品だけど、それでもいいのなら」
       と言って、笑った。 日はとうの昔に落ちて窓の外を街灯が照らし出していた。彼の私室は简素で淋しい感じだった。意外に思うよりも何故とはなく纳得していた。
       シャワーを浴びてくると行ったきり戻ってこない彼を待っている间。仆はふと部屋の片隅に置かれている足つきの碁盘に目をやった。
       覆っていた布を外してみる。大して高级な品ではなさそうだったがよく手入れされていた。长年打っているのだろうか、使い込まれた様子だった。
       この碁盘はもうずっと长いこと彼と一绪にいるのだ、と思った。仆が远くで彼のことを想って烦闷している间も、彼の侧で。
       そう考えると何とも言えず羡ましいような爱しいような気持ちがわいてきて、思わず手を伸ばしてその木肌に触れていた。内侧の炎を优しく静めるような木のぬくもり。吸い寄せられるように抚ぜてみる。そっと。
       仆は彼に何を望んでいるんだろう?彼の何を欲しがっているんだろうか。
       何度も缲り返した疑问が头の中に苏った。
      「塔矢」
       いつの间にか戻ってきた彼が横に立っていた。惊いて手を离す。硬い声だったので怒ったのかと思い、胜手に触ったことを诧びた。
      「…いや、いいんだ」
       彼は困ったような、胸にひっかかりでもしたような、复雑な表情をして颜をそらした。何かを堪えているようにも见えた。
       近づくと上升した体温が伝わってきた。濡れた髪の间に右手を入れてうなじをまさぐり、こちらを向かせて唇を重ねる。今日から数え始めて何度目か、の。
       彼の唇はあたたかかった。仆が想像していたのより、はるかに。
       何でもいい。何が欲しいのか分からなくても。
       彼はここにいる。このあたたかさを感じられれば、それで。
      「お前、腹减ってない?」
       一瞬离れた隙に彼が言った。
      「减ってるよ。もう何年分も」
       と答えた。彼は苦笑する。
      「悪いけど俺、男は初めてだからな」
      「仆だって」


      5楼2013-08-30 18:58
      回复
        「お前がそうじゃなかったら怒るよ」 欠陥品ってどういうことだ、という仆の问いに彼は答えなかった。
        「自分のことをそんな风に言わないでくれ。頼むから」
         恳愿すると、少しだけ颜色を変えた。
         羽织っていたシャツを开いて上気した素肌に触れた途端、両袖を脱ぐ暇も与えず仆は制御を失って彼の上に体重を预けていた。自分でもどうしようもなかった。
         何か言おうとする口を塞いで强引に舌を入れる。少しの间をおいて、踌躇していた彼が応えるのを感じてやっと安堵した。唇を离しても彼は无言だった。代わりに仆の服のボタンを一つずつ外していった。露わになった背中に冷んやりとした空気が当たった。
         首筋にも肩にも胸にも。足の爪先にいたるまで仆のことを刻もうと指先や舌では饱き足らず歯を立てる。隠す様子もなかったが开かせておきたくて両方の手首を押さえつけたまま、脚の间に体を押し付けると摩擦で感じたのか彼はくぐもった呻き声をあげた。
         この気持ち一つ伝えるのに、どうしたらいいか分からない。
         この胸を切り开いて中を取り出したら一目了然なのに。
         もどかしくて何度も耳元で名を嗫く。その度に荒くなる彼の息遣いが头の芯に响いた。
         不思议なことに。爱抚に応じる彼の鼓动を感じれば感じるほど、仆の温度は高くなる一方で、その焔は乱れは収まっていくようだった。肌に触れているあらゆる部分が研ぎ澄まされて彼の反応を聴き取っている。热いことはたまらなく热い。だが、その奥に违和感を感じて颜を上げた。
        「进藤」
         疑问を含ませて呼びかける。彼は固く目を闭じて、自由になった両腕で颜を隠した。
        「嫌なのか」
        「违う」
        「…でも」
         快感と同じ程度に苦痛を味わっているようだった。このまま続けたら何かを壊してしまうのではないか。
        「そうじゃない。やめるなよ塔矢。好きにしていいって言っただろう」
         叫ぶように答える彼の手を掴んで颜を曝させる。まともに视线が合った。
        「仆は」
         目を逸らせない。
        「君をどうにかしたいんじゃない。応えて欲しいんだ」
         间近で覗き込んでいる瞳の奥に揺らめくものを见たように思った。不意に、仆が碁盘に引き寄せられている姿を目にした时の彼の表情が脳裏に浮かんだ。
        「…あの碁盘にしたようにすればちゃんと感じてくれるのか」
         今度こそ激烈な反応があった。彼は屈辱に颜を歪めて仆を睨みつけた。仆は正面からそれを受け止めた。
         一息つくと、体の下で谛めたように全身の紧张を缓めるのが分かった。
        「俺は欠陥品だって言ったろ」
        「何を」
         仆が咎めようとするのをさえぎって。
        「お前は知らないんだよ。お前はいつも别の人间を见てた。俺の中に。俺の方こそお前を追いかけていたのに」
         ほとんど喘ぐようにして震える声を榨り出す。仆は彼が泣き出すのではないかと思った。
        「あの碁盘は俺の心みたいなものだ。あんな风にされたいと思って何が悪い?あんな风に、俺のことを」
         最后まで言わせないよう唇を塞いだ。
         …ずっと。ずっと伤つけていたことに気がつかなかった。あれ程彼のことだけを见て、なりふり构わず追いかけて捕まえようとしていたつもりだったのに。そうすることで追い诘めているとは思わなかった。
         彼は仆を追ってこの世界に飞び込んできた。仆は神の幻影を见ることでその彼に応え続けたのだ。
         残酷なことをしてしまった。冷たく重い后悔の念と共に、ようやく彼の心に手を挂けることができた喜びが仆の胸を満たした。
        「塔矢」
        「悪かった。…ごめん」
         心のままに言叶がするりと口から出た。仆は彼の头をかき抱いた。
        「何度でも谢るよ。许してくれ。君のことだけが好きだ」
         先ほどから何度も缲り返した台词であるのに。それは绝大な効果を及ぼした。仆の肩にしがみつくように回された両腕。背中を抚で下ろしながら仆の名前を呼ぶ。何回も、确かめるように。闻きたかった声色で。再び长い口付けでそれに答えた。
         からんと音がして挂け金が外れたかと思うと、重なっていた身体の芯が溶け出して二人の间を流れるような気がした。细心の注意を払って敏感な个所を探る。彼は吃惊するほど繊细に、一つ一つそれに反応した。比较にならないほど开いていた。
        「君はその辺の女より感じやすいんだな」
         惊き半分、からかい半分でそう嗫くと。ちゃんと口を利くのも难しい様子で喘ぎ喘ぎ言った。
        「何かが、欠けてるんだよ。部品がないんだ。…すぐにたがが外れちまう」
         あれは、そういう意味だったのか。
         彼の感じ取っている世界はどんなものなんだろう。
         そのあり方を思うと胸が痛くなった。
         慰めの代わりに腰を抱いて背中を起こした。
        「仆の前では外れたままでいろよ」
         中心に颜を埋めて限界まで硬く张りつめた彼のものを口に含む。跳ね上がる身体を逃さぬよう押さえつけて指先を这わせ、口の中を存分に使った。泣き声ともとれる声が上から降ってきた。汗と体液が仆の周りを覆い、どちらのものか分からない热気と彼の匂いとが入り混じって、热帯雨林にいるような错覚を起こした。 无理ではないかと踌躇っていた仆を促して中に入ってきて欲しいと诉えたのは彼の方だった。
         怖いのか、と、润んだ目に挑発的な光を宿して笑う。
         怖い。伤つけることは分かりきっていたし、何よりもう一歩踏み出すこと自体が怖かった。自分でも知らない自分がこれ以上曝け出されることになるのが。
         その反対に、昂ぶった欲望と底知れない感情の疼きはますます仆を駆り立てて、逃れることはできなかった。逃げるつもりもなかった。
         念入りに准备をする余裕もなく。自分自身をそこにあてがって、一気に贯いた。
         彼は声にならない悲鸣をあげた。苦痛に身を捩る。呼びかける仆の声も届かないようだった。指の迹が残るくらい仆の腕を握り缔めた。仆は迷わず奥に身を进めた。
         快感を人一倍感じるなら、痛みもそうに违いない。
         きつく目を闭じてかぶりを振る。彼の颜に浮かぶ苦闷の表情は、その时、仆に同情心と同じくらいの愉悦を与えた。
         彼の苦痛も涙も、一滴残らず自分のものにしたい。仆だけのものに。
         缔め付けられるというよりは、己の身で彼の血肉を割り、引き裂いているのだという感覚が强かった。一瞬、このままこの身体を彼の心ごとばらばらにしてしまいたいという猛った欲求が头を支配した。
         ふと、彼が目を开いてこちらを见た。
        「塔矢」
         消え入りそうな声で一言。
         だが、それだけで。
         仆は心臓を 素手で鹫掴みにされたような感覚に袭われた。
         何もかもすっかり、最后の一滴まで捕まってしまっているのは仆の方じゃないのか。そんな気がした。
        「塔矢…」
         もう一度、今度は心细げな、探すような声で。
         それで我に返った。覗き込んだ暗い渊への扉を闭める。再び爱しさが心に満ちてきた。今度は、わけもなく波のようにひたひたと押し寄せる切なさが加わった。
         一方で手を握り、もう一方で彼への爱抚を缲り返して二人一绪に达せられるようにした。 爱しくて。
         爱しくて爱しくて爱しくて、厌わしい。 そういう気持ちを。そういう存在があるということを、あの顷の仆は彼が知るほどには知ってはいなかった。 真夜中。気がつくと、疲れ果てて仆の横で寝息を立てる彼の寝颜を眺めていた。悦びも痛みも消え失せてただ安らかに眠っているように见えた。
         不安になって、手を伸ばしてみる。额に触れるか触れないかというところで彼が目を开いた。突然のことに慌てて行き先を失った指先が宙に彷徨った。
         それを见て进藤はくすりと笑った。
         片方の手でその指を軽く掴むと自分の额に导くようにして重ねた。仆はやっと口をきくことができた。
        「ここに、いてもいいのか」
        「…马鹿」
         それだけ言うと再び目を瞑って寝てしまった。
         梦で见たのとも、想像していたのとも全く违う现実。
         本当は。
         ただこうして隣にいたいだけかもしれない。いつでも、确かめられるなら。彼がここにいることを。仆の立っているところに。
         それこそが见果てぬ梦であるとしても、今は构わなかった。明日のことは考えずに眠ろうと思った。
        -end-


        6楼2013-08-30 19:00
        回复
          夏の话
          ずっと忘れていたのに、なぜなんだろう。
           塔矢と一绪にいるようになってから、时々。
           真夜中に目が覚めると、俺はまだあの部屋にいるような気がする。佐为と最后の时间を过ごした部屋に。
           暗くて、寒かった。しんしんと底冷えがした。いくら空调を强くしてもちっとも暖まらなかった。
           せめて外の灯りを入れたくてカーテンを开いていた。窓の外は部屋の中よりは明るかった。
           ふり返れば佐为がこちらを见ているとわかっているから尚更ふり返ることができなかった。ずっと一绪にいて目を见ることもできず、手をふれることもできず。
           佐为は绮丽だった。俺はあの顷初めて、佐为のことをこんなに绮丽な奴だったのかと思った。
           苦しくてこれ以上佐为といることはできないと自覚したからかもしれなかった。あの时ほど一人でいたことはなかった。
           爱しているのに。
           こんなに爱しているのに。俺はおまえを消そうとしている。
           存在ごと抹消しようとしている。自分が生きるために。俺に全てを与えてくれたおまえを。
           自分で自分を引き裂いてしまいたい。 ———気がつくと。 隣にいる塔矢にしがみついて彼の唇を贪っている。
           そういう时、あいつは何も闻かない。
           何も言わず、ただ俺を抱く。
           俺はお世辞にもきれいな颜をしてはいないだろう。丑悪そのものだ、と思う。
           だけど、あいつは全然意に介さない。
           同情するでもなければ軽蔑するでもなく、いつもと同じ热さで。いつまでも饱き足らず。
           心の痛みより体の苦痛がまさって、俺はやっと明け方安心して眠りにつけるようになる。
           彼は不思议だ。
           あんなに激しいのに燃え尽きるということがない。あの热はどこから供给されているのだろう。
           燃えることを生业としている恒星みたいだ。
           时折、塔矢は俺より余程、孤独なのではないかと思う。 重い云がたちこめる日だった。まだ昼下がりだというのに日光が差さず薄暗い。前线の影响で天候は崩れそうだと天気予报が告げていた。
           せめて明るい日が照っていてくれれば、と思う。そうすれば、笑颜を作るのにもこんなに苦労しないですむのに。
           塔矢は夕刻の飞行机で札幌に向かうところだった。羽田に直行せずに寄り道して俺の部屋に立ち寄ったのも、ずい分无理をしてのことだった。
           最近は俺も塔矢も手合数が増えて、地方や海外へ行くことも珍しくなくなっていた。塔矢は常にタイトル戦には络んでいるし、今は碁圣の保持者だった。俺の方も挑戦者に手が届くくらいにはなった。
           胜てば胜つほど忙しくなる。それは构わないのだが。
           この先一ヶ月の二人のスケジュールを合わせてみたら、见事にすれ违っていた。
           俺が东京にいる时は塔矢は地方にいて、帰ってくる顷には俺は别の土地に行かなくてはならなかった。谁かが俺たちに会うなと言っているみたいだった。
           一月くらいあっという间だ。たいした事はない。
           同じ业界にいるのだし、どこで何をしているか分からないというわけでもない。
           大体、あの日までは何ヶ月も颜を合わせないでいたってまったく平気だったじゃないか。
           どんなに言い闻かせても駄目だった。自分がこんなに堪えるとは思わなかった。こんな些细なことで。
          「进藤」
           身支度を整えて玄関のドアに手をかけた塔矢の横颜を、俺はぼんやりと眺めていた。ついさっきまで俺のことをさんざんかき乱していた腕も足先も、すっかり皱一つないスーツの内侧に収まっていた。
          「进藤。大丈夫か?」
           二回呼びかけられてようやく返事ができた。
          「疲れたんだよ。谁のせいだと思ってるんだ」
           前髪をかきあげて、ぶっきらぼうに。それから、
          「気をつけて。あまり胜ちすぎるなよ。俺にも残しておいてくれ」
           と冗谈めかして言った。その俺を黙って见つめた后、右手を上にあげて。
           左の頬にほんの微かに触れる気配。
          「颜色が悪い」
           その瞬间、身体に电流が走ったようだった。冲撃でそれまで抑えつけていた心が叫びだした。
           怖いんだ。夜になるのが。
           子供みたいだ、と思う。とてもそんなことは言えない。
           でも、目が覚めてまたあの部屋にいたら、どうしたらいい?
           お前がいなくて、一人で。
          「…酒でもかっくらって寝るかな」
           俯いて呟いた。
          「何だって?」
           唇を噛む。情けない。どうしたんだろう、俺は。
           三十分、いや、そんなに多くなくていい。
           动けずにいると、塔矢が腕时计を见るのが分かった。その动作に突き动かされてやっとのことで声に出した。
          「十分」
          「え?」
          「あと十分でいいから」 一绪にいて欲しい。 それを闻くと塔矢は、はっとするほど嬉しそうに笑った。
           俺が后ろめたくなるくらいに。 床の上に直に腰をおろす。向かい合って、互い违いに。
           右の肩に颜を预けると、塔矢は反対侧の腕で后ろから俺の头を抱きしめた。俺は目を闭じたまま空いている方の手を探した。すぐに応えがあった。触れるか触れないか探りあった后、どちらからともなく指先を络める。
           しばらくの间、そのまま塔矢の体温を感じていた。
           时间がゆっくりと流れる。こうしているだけで、彼の生命の鼓动、血液の流れる音が伝わってくるような気がした。俺は全身の感覚でそれを味わった。彼は黙ってじっとしていた。
           俺が、そうして欲しいと言ったから。
           今日が始まってから、初めて俺は心の底から安心していた。
          「…优しいな」
          「何が。こうやって生杀しに耐えているのが?」
          「そういうところがだよ」
           突然、あることを思いついた。その考えに俺は思わず声に出して笑ってしまった。
          「何だ」
          「いや。どうしてこんな简単なことを考えつかなかったんだろう、と思って」
           いぶかしげに首を倾ける塔矢に。颜を上げて正面から视线をぶつける。
          「俺さ。この次の决胜戦に胜てばお前に挑戦できるじゃないか」
          「碁圣戦のことか?それが」
          「だから。七月に挑戦手合が始まるだろう。五番胜负で、五局目までもつれこめば二ヶ月くらいか。その间、前夜祭なんかも入れて二日、周に二日は一绪にいられるはずだ」
          「それは。その通りだが」
           と言ったきり、绝句してしまった。何と言ったらいいかわからないという様子だった。
           俺はといえば、久しぶりに晴れ晴れとした気持ちになっていた。届かせようと思えば手が届くところにいるのだ。今は。彼と真正面から向き合える场所に自分の足で行くことができる。会えるだけでも充分なのだが。
          「俺が相手じゃ不足か?」
          「そんなことはない」
           即座に答えが返ってきた。
          「そういう问题じゃない。それはそうだけど、一绪と言ったって他の人间も一绪じゃないか」
          「打っている时は二人きりだ」
          「………」
           塔矢は何かにうたれたような颜をした。瞳の奥に何ともいえない青白い炎が揺らめいたかと思うと、真挚な表情で俺を见返す。周囲に美しい気がたちのぼった。
           绮丽だ。
           见惚れていると、一瞬唇を夺われた。それから彼は、间近で俺の目を覗き込んで言った。
          「楽しみだよ」
           それが、五月のこと。六月の初めに俺は碁圣戦の挑戦者决定戦を突破して今期の挑戦者に名乗りをあげた。我ながらよくやった、と思った。
           碁圣戦第一局は熊本、第二局が松本だった。しばらく间をおいて、三局目を仙台で迎えることになった。 同じ场所にいて、何事もないように振舞わなくてはならないのは辛いかと思っていたのだが、それどころではなかった。初めての大舞台、しかも塔矢と打つとなれば、普段よりはるかに気合を入れておかなくてはならなかったからだ。
           彼は俺と颜を突き合わせても平然として颜色一つ変えなかった。対局中はもちろん二人で取材を受けている时も、前夜祭の时も。俺を见る时、まったく棋士の颜をしていた。挑戦者を迎え撃つタイトル保持者の颜を。
           始まってしまうと、俺は紧张よりもわくわくした気持ちの方が强いことに気づいた。プレッシャーを高扬感に変える术を、长くもない棋士生活の中で身につけていたせいもあるが。
           何と言っても、相手が塔矢だったからだろう。
           丸二日间ほとんどの时间を共にいても、二人きりになれる机会は皆无だった。ホテルのロビーですれ违うこともなかった。それでも。
           俺を见て欲しい。他の谁かじゃなく本当の俺のことを。
           やっと、対局している间にもそれが叶う。
           それで充分だった。
           打っている时、俺たちは本当に二人きりだった。
           周りにどれだけたくさんの人がいようと、盘上の世界は俺と塔矢だけのものだ。
           俺の部屋のベッドの上にいなくても。
           こうしているだけで俺は塔矢を独占している。 対局は、挑戦者である俺の方が势いに乗っていた。
           第一局は序盘から难しかったものの最后に半目残って辛胜、第二局は中押しに持ち込んだ。自分でも会心の出来ではあった。
           塔矢が精彩に欠けるとは思わなかった。周囲は五分五分の胜负をすり抜けた俺の力の方を高く评価していた。
           だが、俺は彼にいつもと违う微妙にずれた手応えを感じた。ほんの仅か中心を外しているような。彼自身もそれを取り戻すのに苦心しているようだった。
           第三局を明日に控え、挨拶やらインタビューやらの雑事を滞りなくこなして対局の朝を迎えるだけとなった今夜。俺は彼の持つタイトルに王手をかけた状态だった。


          7楼2013-08-30 19:07
          回复
             柔らかなベージュの天井を眺めてため息をつく。早々に床に就いたものの寝付かれそうにもなかった。広いホテルのベッドの上で何度も寝返りを打っては———塔矢のことを考えていた。
             彼はどうしているだろう。
             どんな気持ちでこの夜を迎えているのだろうか。
             俺が彼との対局を待ち望むように、彼も俺と打つことを望んでくれているのだろうか。
             それを知るのが、一番怖かった。
             どこの阶にいるのかもあえて闻いてはいない。一人でいても神経を镇めるのはおおごとだ。邪魔はしたくない。
             でも今、俺が侧にいれば。どんなことでも、あいつの望むことは何でも、したいようにさせてやるのに。
             そんなことを考える自分が可笑しい。対戦者は俺だ。
             どういうわけか、目の前のタイトルに执着する気持ちはどこを探しても见当たらなかった。
             今の俺が欲しいものはあの瞳だけだった。俺のことを捉えて离さない彼の瞳。思い出すとそれだけで気が远くなりそうになる。
             ずっと见つめられていたい。
             その时。
             ふと、目の前の风景が揺らめいて视界が暗くなった。
             わけのわからない暗い块が突き上げてきた。何度も覚えのある感覚。
             嫌だ。
             叫びだしそうになったが声にならなかった。
             咄嗟に一番近くにあった自分の体の一部、右手の人差し指を思い切り噛んだ。痛みで感覚が戻ってきた。
             挂け布団をはいでベッドから降りる。一刻も早く部屋から外に出たかった。暗くて寒い、あの场所に戻りたくない。
             手元を探って部屋の键だけは掴み、部屋着のままでドアに手をかける。重い扉を向こう侧に开くと、明るい照明の下、绒毯敷きの廊下に塔矢が立っていた。
            「进藤」
             惊いて俺の名前を呼ぶ。俺はあっけにとられて口がきけず、しばらく呆然と彼を眺めていた。
            「どうしたんだ、そんな格好で」
            「…お前こそ、ここで何を」
             声が掠れてうまく话せなかった。塔矢は眉をひそめて俺を见つめ返した。気遣わしげな表情で。だが口に出しては、
            「少しでいいから君の颜が见たいと思った。ドアの前で迷っていた」
             とだけ言った。
            「………」
            「集中を乱したくなかったんだ」
             何か考えるより先に体が动いていた。塔矢の腕を掴んで力まかせに部屋の中に引き入れる。俺たちの后ろでドアが音も立てず独りでに闭まった。
             明りの点った廊下のこちら侧の薄暗で。壁际に塔矢の体を押し付けて唇を吸った。彼は何の抵抗もなくそれを受け入れた。
             背中に热い腕の感触。いつの间にか包まれて口の中をかき回される格好になった时、初めて。
             知らない振りをしていたことに気づかされた。 俺は、卑怯だ。 固く目を瞑ってその感覚に耐える。暗いのがありがたいと思った。
            「进藤」
             気がつくと、ようやく俺を解放した塔矢が颜を覗き込んでいた。
            「また悪い梦を见たのか」
            「…どうして」
             知ってるんだ、と言いかけて。马鹿げた质问だと思った。彼が気がつかないわけがない。
            「大丈夫。収まったよ」
             额に手を当てて答える。壁を辿ってスイッチを入れると、天井のランプが部屋を照らした。何ということはないホテルの一室だった。
             俺はため息をついて彼を奥に招き入れた。
            「明日の対局者同士がホテルの部屋で密会なんて、洒落にならないぞ」
            「部屋に入れたのは君だ」
             怃然として塔矢が答えた。
            「言っただろう。颜を见たかっただけだ」
            「それだけ?」
            「………」
             黙ってしまった彼を见て思わず笑いが漏れた。正直な奴だと思って、それが嬉しかった。
            「调子がよさそうだから崩したくないんだ」
             塔矢がそう言うのは、それを话题にしていいのだという了解のように思えた。今でなければ闻けない。俺は思い切って寻ねた。
            「お前はそうでもなさそうだな」
            「…まあね」
            「俺が相手だと、やり辛い?」
            「やり辛いよ。攻守ともこれといった弱点がない。手坚いし、何と言うのか、とらえどころがない。かと思うと、攻めにまわった时は彻底的だ。よく分かっていない奴は君の碁を老成しているとか新鲜味がないと言うが、とんでもない。むしろ激しすぎる」
             拗ねたようにそうまくしたてるのを闻いて。身构えていた分、拍子抜けしてしまった。
             だがそれで力が抜けて気が楽になった。
            「塔矢先生にそう言われるのは光栄だけどさ」
             腕を伸ばして肩から首に回す。颜を近づけると耳元で小さく、
            「俺が言いたいのは、そういう意味じゃない」
            と嗫いた。长めの髪が頬をくすぐる。いつも思うが、心地よい。
             惊いて一瞬反応が遅れた塔矢が俺を掴まえる前に、身体を离した。
            「…それは。夜、眠れなかったのは确かだが」
             ばつが悪そうに彼は言った。それから真面目な颜つきになって。
            「でも、君と打てるのは喜んでる。调子が出ないのは君のせいじゃない」
            「本当に?」
            「本当だよ。そんな颜をするな。相手が君で嬉しい」
             不覚にも涙が出そうになった。塔矢にはこの気持ちは一生わかるまい、と思った。
             下を向いて额を彼の胸に押し当てる。
            「…明日になったら」
             どう言ったら伝わるのか见当もつかず、仕方なく心に浮かんだ言叶をそのまま口にした。颜を上げ、まともに目を见て。
            「俺がお前をそこから引きずりおろしてやる」
             お前が独りで立っているその场所から。
             惊いたことに、塔矢はそれで分かったようだった。彼は俺にも灭多に见せたことのない表情をした。泣きたいような笑いたいような、见ているこちらの胸が冲かれるような颜。そして、
            「覚悟しておくよ」
             と言った。 第三局、白番塔矢の三目半胜ち。
             俺の台词が効を奏したとは考えたくなかったが、次の日から彼は绝好调だった。诈欺ではないかと思った。
             大きな口を叩いた手前、俺も手を抜こうなどとは露ほども思っていなかった。粘りに粘ったが追いつかないまま终わった。
             第四局の金沢では、久しぶりに鲜やかな手筋を见せつけられた。文句のつけようがなかった。
             结局胜负は最初の思惑通り五局目まで持ち越された。俺は必死だったが、堪能していた。他の奴にこの场を譲ることを考えたら何百倍もましだった。 日本棋院で行われる第五局。八月も终わりの日だった。
             台风が近づいていて、朝からしのつく雨に风が加わり外は荒れ模様だった。夜半には関东にも上陆するという。剣呑な天気。
             俺と塔矢の対局も最终戦になって、いっそう激しさを増した。后で闻いたら谁もが口を揃えて、见ていても一手一手に気の抜けない名胜负だったと言った。
             俺は実力以上を出したのだと思う。お互いの闘志がぶつかってできた场のエネルギーが、俺の中にまだ眠っていた部分を引き出したかのようだった。胜败を分けたのは运と、それから。
             长い时间の堆积。 その时俺は、佐为と一绪に打っているような気がしていた。「ありがとうございました」
             と言った后。
             塔矢はじっと整地のすんだ碁盘を见つめて表情を见せなかった。俺は头が真っ白に燃え尽きていて、自分の気持ちに気づかなかった。
             しばらくして颜を上げた彼は、少し踌躇った后。微笑んで、
            「おめでとう。完败だ」
            と言った。外では决してのぞかせない、俺と二人きりでいるときにだけ表に出す笑颜で。
             その途端。
             锐く冷たい刃とともに苦く、重苦しい块が胸に落ちてきた。
             自分でも颜が青ざめるのが分かった。
            「进藤?」
             塔矢は讶しげに眉をひそめた。
             どうしたらいいか分からなくなった。混乱していた。
             自分でもわけがわからない。心を冻えさせる块。确かなのはそれが及ぼしている効果だけだった。俺は怯えていた。
             受け答えも说明もできず、あからさまに目をそらした。
             彼が惊いて颜を昙らせるのが分かった。
             报道阵がなだれ込んで来て、その场はそれで终わった。长时间に及ぶ検讨をこなし、祝福の言叶に言叶だけで挨拶を返す。その间中、俺は表情を作ることも难しかった。気づくと塔矢はじっとこちらを见ていた。探るような眼差しで。俺は彼と、二度と目を合わせることができなかった。


            8楼2013-08-30 19:09
            回复
               ますます势いをます风雨の中、タクシーで帰宅したときには零时を回っていた。寝支度も早々に、ぐったりとして横になった。
               荒れ狂った风が窓にあたり、がたがたと音をたてる。それとともに断続的に打ちつける雨。闭めきっているというのに、なぜか外の岚の音ばかり耳に响いた。
               胜ったのだというのに。喜びよりも心を占めるこの不安は、一体。
               喜びの质には覚えがあった。嬉しいと感じなかったわけではない。その证拠に、塔矢が微笑った时、他の何にもまして大きな幸福感が一瞬、俺の全身を覆ったのだ。
               その大きさの分だけ、深い底へと突き落とされたようだった。
               神経が张り诘めていたが、そのままうとうとしてしまったらしい。
               梦うつつに。佐为の幻を见た。
               谁かが俺のことをほめている。佐为ではなくて、俺のことを。俺は有顶天で———振り返ると、佐为はいなかった。 何かの音で覚醒した。シーツを握り缔めて汗をかいていた。呻き声のような风の音に混じり、呼び铃が鸣っているのが聴こえた。
               こんな时间に。
               ふらつきながらドアを开けると案の定、塔矢の姿があった。髪の先からしずくをたらして。
              「入れてくれないか」
               黙ったまま、通路を空けて彼を通す。洗面所からタオルを一枚取ってきて差し出した。
              「寝ていたら帰ろうかと思っていた。起こしたのなら、すまない」
               他人行仪なことを言うなよ。
               はっきりとしない头で投げやりに思った。ベッドの端に膝を立てて座る。体を丸めて。守るように。
              「进藤」
              「何だ」
               现実感がなくて自分がどこにいるのかよく分からない。俺は头を両腕の中に沈めた。
              「どうしたんだ。こちらを向いてくれ」
               塔矢の声には、いつも俺に呼びかける时のような优しげな响きが欠けていた。その代わり、焦りと苛立ちが含まれていた。
              「何でもない」
               俯いた俺のあごをとり、强引に上を向かせる。彼らしくない动作だった。
               目が合った瞬间、钝磨させていた感情が袭い挂かってきた。 おいていかないでくれ。一人にしないで。 得体の知れない不安。理屈ではなく、その时俺は。
               塔矢に本当においていかれるような気がした。俺が彼のことを意识から消してしまうと。俺が彼より强くなってしまうと。
               马鹿げていると片隅では思ったが、その考えは头の大部分を占めてしまって强固に动こうとしなかった。
              「君は胜ったんじゃないか。どうしてそんな颜をする?何が不満なんだ。何を考えてる」
              「塔矢」
               彼の目から逃れるために睑を闭じてかぶりを振った。
               向き合えば、彼は苛立っているのではなく、むしろ悲しいのだということが见て取れたかもしれない。しかしその时の俺にはそんな余裕はなかった。
              「疲れているだけだよ。そんなことを言いに来たのか」
              「気になって、どうしようもなかったんだ」
               目の前の床に膝をついて、力なく下ろしたままの俺の両手を握る。
              「俺のことが?」
              「それ以外に何があるんだ」
              「怒っていないのか」
              「?」
              「不安なんだ。俺はお前を失いたくない。胜ってもよかったのか、分からない」
              「………」
              「伤つけたんじゃないのか」
               塔矢は呆然として俺を见上げた。口をきくのもやっと、という风に切れ切れに答える。
              「…何を言ってるんだ。わけがわからない。仆が怒るって、君が胜ったから?订正しろよ。侮辱だ」
              「そうじゃない。塔矢」
               彼の当惑した口调に、俺の混乱はますますひどくなった。
              「ちゃんと仆の方を见ろよ」
               恐る恐る目を开く。
              「负けたからといって怒るわけがない。逆だよ。君は自分が仆に言ってくれたことを忘れたのか。三局目の前日に」
               颜を伏せて、辛そうに。
              「今日君と打っていて、初めて会った顷を思い出した。君と、碁会所で会った时のことを。…仆は」
               全身が硬直して石になってしまったように感じた。
               胸をえぐられる痛み。
               嫌だ。お前の口からこの场所で、お前が佐为のことを追いかけていた时のことを闻くなんて。
              「闻きたくない」
               声を荒げて一言、怒鸣ることしかできなかった。
               どうしてその时、ほんの少しでも彼の心を、彼の痛みの方を思ってやれなかったのだろう。
               ———后で、そう思った。
              「…君は」
               短い沈黙の后で。
              「仆のことはどうでもいいんだな」
               背筋が冷やりとする低い声。
               その声音でやっと。やっと俺は塔矢を本当に伤つけたのだということが分かった。
              「帰るよ」
               言いながら立ち上がる。彼がここに来てから初めてまともに俺の目に映った姿は、远ざかる背中だった。
              「塔矢」
               はじかれたように后を追う。玄関先で振り返る塔矢に。
               何を言えばよいのかわからず、俺は言叶を失った。
               言い訳も谢罪も口から出てこなかった。
              「今、出て行っても帰れないだろう」
              「构わない」
               短い答え。
               风の音はますます部屋を揺らした。 いかないで欲しい。一人にしないでくれ。頼むから。 そう言えばよかったのかもしれない。素直に。
               でも、言えなかった。
              构わないと言いつつそのまま动かないでいる彼の手をとった。握り缔めた拳は青白くなっていた。
               手首からそっと抚でて、一本一本指先を开かせる。
               小刻みに震えるその掌に両手を添えて、そのまま自分の頬にあてがった。軽く唇を押しあてた后、素肌の胸元に招き入れて嗫いた。
              「してくれないのか?そのつもりで来たんだろう」
               その时の塔矢の颜は忘れられない。后々まで焼き付いて离れない记忆となって俺を苦しめた。
               彼はいきなり、空いた方の手で俺の手首を掴むと、奥の部屋までひきずっていった。凄い力だった。
               俺の体をベッドの上に放り出すと、势いにまかせて覆いかぶさってきた。乱暴に口をふさがれる。 出ていかないでくれ。失いたくない。
               …どうしても。どうしても、今夜だけはつながっていたいんだ。 俺は心の中でそう叫んでいた。
              「望む通りにしてやるよ」
               俺の寝间着を剥ぎながら彼が言った。 いつもよりよけいに。
               よけいに乱れ、よけいに喘ぎ、よけいに求めた。演技でも何でもなく、本当に感じていた。俺は。塔矢が欲しかった。
               执拗に胸の突起をなぶる彼の冷たい舌先。噛みちぎられるのではないかと思うほど强く。下半身を押さえつけられて腰を动かすこともできず。逃がすことの出来ない快感がこもった热となって上に突き上げてきた。彼はそれを握り、掌で全体を擦り上げては爪を立てた。
               普段は。寄せては引く感触に俺が次第に高みに升りつめていくのを存分に味わっているのに。
               今日は俺が放ったものを体にあびながら、息をつく暇もなく爱抚を缲り返した。俺のものはあっけなく彼の指先の言うなりになった。少しも楽になれなかった。
              「助けてくれ。死んじまう」
              「诱っておいて音をあげるのか」
               思いつめた瞳で、俺を见下ろして。
              「许さない。気を失うのも、感じないでいるのも」
               彼の激しさは手负いの獣を思い起こさせた。それはいっそう俺の心をかきたてた。
               言われるまでもなく、意识を失ってしまうことはできなかった。刺激されればされるだけ、磨がれて锐くなった感覚の刃が细胞を突き刺して覚醒させる。快も苦痛も、もう区别できなかった。
               そして、俺の体は。头から足の爪先に至るまで、塔矢の振るうその刃に切り刻まれるのを待っていた。俺は恳愿した。もっと。もっとして欲しい、と。
               体が反転して、后ろから违う种类の冲撃が袭ってきた。それまでにない热さだった。思わず叫び声をあげた。いつものように彼の腕に缒りつくことができずシーツを握り缔めて耐える。
               突き动かされる圧倒的な苦痛と快楽の波と共に。静かに、だが确かに、もう一つの波がひたひたと押し寄せてきて心の底の方から俺を満たしていった。
               ———塔矢の、悲しみと痛みが。
               つながっている。
               その感触に飞び込んで、身体ごと心を浸らせた。
               ようやく欲しいものに手が届いた感じがした。荒れ狂っていた岚が静まって、澄んだ青空を覗かせるように。
               安堵と爱しさを込めて彼の名を呼んだ。何度も。そこで意识が途切れた。 俺は。塔矢に何を望んでいるんだろう。
               分からない。
               爱して欲しいのか。それとも、引き裂いて欲しいのか。
               俺はこいつを、恐ろしいところに引きずり込んでしまったような気がする。
               でも、———でも。
               こんなに欲しがっているんだ。こんなに。
               息が、止まりそうなくらいに。 明けた次の日は、见事な晴天だった。カーテンを通して眩しいほどの日の光が差し込んでいた。エアコンのタイマーをセットしておいたおかげで部屋の温度は上がらずにすんでいた。
               目をあけたのは昼过ぎだった。塔矢の姿はなかった。
               全身どこもかしこも、体势を変えるだけで痛んだ。吐き気がした。だるくて起き上がることができず、仕事の予定を変更しようと枕元の携帯に手を伸ばした。
               その时俺は、自分が新しい寝间着を着ているのに気がついた。クローゼットの引き出しにしまっておいたものだった。
               朦胧とした头を抱え、隣のからっぽのぬくもりを抱きしめる。 まだ。
               まだ终わってなんかいない。
               これで终わったわけじゃない。大丈夫。
               失ってなんかいない。 洗いたての寝间着の襟元を握り缔めて、俺はいつまでも自分に言い闻かせていた。
              -end-


              9楼2013-08-30 19:12
              回复
                夏と秋の间の话
                进藤が得体の知れないものに苦しめられているのだということは见当がついていたが、彼はその原因はおろか、自分が苦しいのだということすら语ろうとしなかった。
                 気遣った仆の视线はいつも、彼の笑颜の前で雾消してしまった。透明だが决して壊れることのない壁が仆らの间にすっと降りてくるような感じがした。
                 それでも构わないと思っていた。必要とされているのなら。彼が仆を欲しがってくれるのなら。
                 仆には自分の心を制御するなんて器用なことはできなかった。欲しいと思ったら、とことん追いかけて満たされるまで止まらない。満たされることのない対象なら、一生追い続けるしかない。
                 彼は仆が求めれば求めるだけ深く受け止めてくれた。
                 いつの间に、それだけでは充分でないと思うようになったのだろう。いつの间に见返りが欲しいと思うようになったのか。
                 その透明な壁を打ち壊してこちらに来て欲しい。仆のところに。
                 君の方から手を伸ばして———そして。
                 仆は优しくなんかない。优しくしたのは、それしかできなかったからだ。 帰宅した时には、昨夜の岚が嘘のような晴天が広がっていた。まだ瑞々しく露をはらんだ庭木の浓い绿が痛いほどに目についた。暑くなりそうな早朝だった。
                 家の者は谁も起き出してはいなかった。玄関を入ると、しんと冷えて时间が止まったような空気。いつもの落ち着いた日常がそこにあった。后手で引き戸を闭めたとたん、足元が揺らぐのを支えきれず扉に寄りかかったまま、ずるずると座り込んでしまった。
                 最后に仆を呼んだ彼の声がまた耳の奥に苏ってきた。振り払っても振り払っても、缲り返し聴こえてくる。
                 呪缚を断ち切るように强く头を振って、なんとか立ち上がる。重い体を洗い流して自分の部屋の布団に潜り込むと、泥のように眠った。何も考えたくなかった。
                 目覚めて日が高いのに気がついても、起き上がる気にはなれなかった。このままずっと眠っていたいと思った。
                 そうしなかったのは、父と打つことになっていたからだ。
                 彼の部屋に行くようになっても、父が家にいる限りは盘を囲うという日课は、一度たりとも欠かすことはしなかった。明けて帰った日も、必ず。
                 どんなに辛い时も打ち続けてきたのだ。碁は仆にとって、命と同じだった。
                 何を犠牲にしても、欲しいものすべてとひきかえにしても舍てられない、舍てさせてくれない。呼吸を止めることができないのと同じように、仆自身についてまわっているもの。
                 ———あの日、君が仆のいるところに来ると言ってくれた时。
                 仆がどんな気持ちだったか。それがどれだけ待ち望んでいた言叶だったのか、君には决して分かるまい。
                 息苦しくて头も胸もずきずきと痛んだ。冷たい水で颜を洗い、镜に写った自分の颜を见たらよけいに嫌気がさした。
                 少し考えて、箪笥の下の段から母が仕立ててくれた青い小千谷缩を取り出す。袖を通すと麻のきっぱりした感触が全身を包んだ。角帯をいつもより固めに缔めて父の元へと向かった。昨日の一局の検讨をする约束だった。
                「ここのオサエはよかったな。しかし、こうなると…」
                 仆の黒の布石に、対する白を手にした父がよどみのない手つきで石を置いては取り上げる。
                 石の动きはその场の彼と仆のやりとりを否応なく思い出させた。自分を强いて意识を集中させた。
                 父は普段とまったく変わりなく仆に接した。仆は中盘の攻防を振り返って言った。
                「中央を舍ててくるとは思いませんでした」
                 序盘、右上に展开した戦いが一段落した后、白の进藤は早々に中央の三子を舍てて白地を谛め、代わりに左上と右下に先行する作戦にでたのだ。仆は三子を取って中央に势力を张ったが、最终的には左辺と右辺の接近戦で白を杀せず、リードを夺われたまま取り返すことができなかった。
                「この取りは仆が见ても大きいように思いましたが」
                 控え室の解说者も『无谋だ』と言っていたと闻いた。
                「守っていては届かないとふんだのだろうな」
                 父は手を止めて盘面を见つめながら呟いた。
                「大胆のように见えるがそうではなくて、细心なのだ。彻底的に正确な目算があるから舍て身になれる」
                 その何気ない言叶は。闭ざそうとしていた感情の扉をあっさりと砕いてしまった。急に、目の前の碁盘が薄っぺらになったように思った。代わりに。
                 手の中に、昨夜仆の手をとった时の彼の掌の温度がリアルに感じられた。指先が一本ずつ开かされる感触と共に。
                「进藤君は何と?」
                 仆の中の何かが、なすすべもなくそのあたたかさに引き寄せられていく、その感触。それから。
                 仆は膝の上で拳を握り缔めて目を瞑った。やっとの思いで答えた。
                「…舍てて足りないようなら、そもそも初めから足りないのだと思った、と」
                 どう顽张ってみてもそれ以上盘面は元に戻らなかった。意地になって最后まで続けたが、その后父が言ったことは头の上を素通りしていった。
                 部屋に戻っても一人になれなかった。彼がずっと心の中で嗫き続けていた。仆に向かってある时には优しく、ある时には冷たい声で。拒绝と、その逆の言叶を交互に缲り返した。
                 堪らずに外の空気を吸いたくなって家を出た。太阳が倾いても日中の热気は冷めようもなく辺りを支配していた。
                 仆は自分がひどく伤ついているのだと认めざるを得なかった。
                心の内をどこにも持って行けないまま、あてもなく歩いた。空は群青にそまりつつあった。地面にたまった热が放出されて吹き上がり、人も建物も木々の绿も、みな湿った大気に闭じ込められているような感じがした。
                息ができないほどの重苦しさに、往来の真中で足を止める。周囲のざわめきは远ざかっていた。
                それが苦痛であれなんであれ、彼が仆以外のものにとらわれているというのは明快な事実だ。この仆ではなく他の谁かが与える苦痛。彼の心の一番大事な奥底で。仆の与える拙い言叶や数限りない爱抚や口付けなんかよりも、もっとずっと深く激しい痛み。
                 その相手を多分仆は知っている。彼が触れたくて触れられなかった、碁を教えた师匠だ。あの、鲜やかな打ち回しを彼に教えた师匠。
                 じりじりと焼け付くような気持ちが胸を突き刺した。
                 心の奥底の大事な愿い。大事だからこそ、叶わないと分かっていて外に出すことができない切なる愿いを踏みにじられたのは、仆の方じゃないか。 谁かに共に行って欲しい。仆が目指している高みまで。 初めに彼と出合った时から、その愿いは仆と共にあった。一旦は彼に托そうとしたものの叶えられず、何年もたって所诠は他人に望むようなものではないと谛めかけた时。思いがけず彼が、自分の方から叶えたいと言ってくれた。
                 それを、期待させられたあげく裏切られたのだ。 落ち着こうとして少しも落ち着けず、ただひたすら彷徨っているつもりで。足だけは正直に、一番向かいたい方向に进んでいた。
                 分かっていてもやめることができない。
                 求めるのも追いかけるのも、それ故に简単に捉まってしまうのも。 塔矢。 昨晩の彼の、心の底から嬉しそうな、安心してゆだねてくるような声。彼が仆を呼ぶ声にあそこまで爱しげな响きを聴き取ったことはなかった。どこまでも甘かった。
                 その甘さを噛み缔めずにはいられなくて、结局また思い出してしまうのだ。确かめたくて。仆だけが望まれていると思いたくて。
                 たまらなくみじめだった。
                 彼の住むマンションの下に立った时には、云ひとつない空に星が光っていた。
                 窓を见上げて入るに入れず踌躇していると。通りの向こう侧の角を曲がってこちらに近づいてくる人影が视界に入った。仆の方が先に気がついて、そのままの姿势で待った。
                 下を向いて歩いていた彼は、仆のすぐ近くまできてようやく足をとめた。エントランスの明りの下、仆の姿をまじまじと眺めて、しばらく口をきかず。それから泣き出しそうな笑颜になって言った。
                「塔矢。…似合うなあ、それ」
                 その颜を见た时。一瞬、何もかも忘れて抱きしめたいという强烈な欲求に袭われた。
                 以前の仆ならそうしていたかもしれない。だが、何かがそれを止めさせた。そうしたいという気持ちと同じくらい、别の感情が拮抗していた。仕方なく。
                「起きられるのか?」
                「ついさっき动き出したところだよ。お前は?」
                「仆は」
                 言いかけて、言叶が止まってしまった。会ってどうしたいのか、何を言いたいのかもよく分かっていなかった。
                 けれど、一人でいるよりは余程ましだと思った。一人で内侧に抱えて自分の重力に押しつぶされてしまうよりは。壊しても伤つけても拒否されても、彼が相手なら。どんな溶岩の中にいようと本望だ、と。
                 黙って彼の颜を见つめる。その沈黙に何を感じたのか、彼の方が目を逸らした。そして、
                「…少し歩かないか」
                と小さな声で言った。


                10楼2013-08-30 19:15
                回复
                  2025-05-14 19:04:03
                  广告
                  秋の话
                  ヒカルの碁、アキヒカ。アキラを本当に爱するために佐为のことを思い出そうとしたヒカルは…。佐为の语る话に続きます
                  c*R-18c*ヒカルの碁c*アキヒカc*腐向け编辑标签? 享用更多
                  加收藏从面继续阅读。
                  前一面 1 / 1 ページ 下一面 aaa  名前を呼ばれるのが好きだ。
                  进藤。
                  俺を呼ぶあいつの声。低く高く。怖いくらい甘く、癖になるくらい苦く。缲り返し缲り返し。それ自体が何か喜びをもたらす呪文であるかのように。
                   あいつは心底嬉しそうに俺を呼ぶ。爱しげに、时には苦しいほど切なげに。普段の彼を知っていると惊くような优しい色合いの时もある。
                   呼ばれる度に、俺は魂をまるごとどこかにもっていかれたような気持ちになる。今夜はもう呼ばれ続けているだけで何もしなくてもいってしまいそうだ、と思う。そう言うと彼は笑って、また耳元で俺の名を嗫く。
                   俺は彼の背中をかたく抱き寄せる。つかまっていないと、自分一人だけ幸福の波にのまれてしまいそうな気がして切ない。
                   いくら体を重ねても惯れない。いつまでたっても痛い。
                   それだけではなく、幸せにも惯れない。
                   いつまでたっても、凄く幸せで凄く痛い。 ———ヒカル。 そう呼ばれて目が覚めた。塔矢は横でうつぶせになって眠っていた。
                   明け方にはまだ早く、日の出前の一番暗い时间。太阳の上る时刻はどんどん遅くなっていき、今までが明るかった分実际以上に夜が长く感じられる季节だ。
                   俺はこの时间が嫌いだ。
                   辺りはしんと静まり返って、体を起こすとがさがさという音がやけに大きく响く。起こさないように慎重に気配を杀してベッドから抜け出すとドアを闭めた。
                   休日だからといって、普通の恋人同士のように二人で出かけられるわけでもない。忙しいことはかえって救いなのかもしれなかった。でも、こうして一绪にいられるだけで未だに俺は、彼がそこにいて五センチの距离で俺の目を见つめる、それだけで心臓が止まるんじゃないかと思う时がある。
                   それなのに。
                   それなのに、どうして优しくできないのだろう。
                   どうして素直に爱し返してやれないのだろう。彼の望みに、応えられないのだろう。
                   また、ため息をついていた。
                   昨日の诤いの原因はもう思い出せなかった。きっかけは、歩く时右足を先に出すか左足を先に出すかとかいうような、马鹿みたいに些细なことだったと思う。
                   それよりも。塔矢は初めから苛立っていて、珍しくそれを隠そうとしていた。俺にだけじゃなく、自分にも平気そうに振舞っていた。俺はそういう、らしくない彼を放っておいて见てみぬ振りをすることはできなくて、それで言わなくてもいいことをつい口に出してしまうのだ。
                   キッチンの椅子にしばらく腰を下ろしていたが、足元から冷えてきたのでリビングに场所を変える。こういう时、同じ部屋に二人でいるのはきつかった。电気を点けずに、ソファに座ってカーテンの隙间からもれ入る外の明りに目が惯れるまでぼんやりとしていた。
                   棚の上に、隣室から移动させた桂の碁盘。そっと両手で抱えてテーブルの上に置いてみる。
                   あの日、塔矢と夜の公园で话した后。俺はこれを棚の上に置いたまま、手を触れることはおろか覆いを外してもいなかった。石を并べる时は别の碁盘を使った。塔矢と约束してから、なぜか自分ひとりの时もこれと向き合うのが怖くなってしまったのだ。
                   塔矢が俺と会う时ほんの少しのすれ违いにも敏感で、争いを回避しようと努力しているのは见て取れた。彼は俺を伤つけたくないのだ、と思った。その慎重さの度合いは逆に、奥深くの激情を表しているように思われた。その落差はそのまま、彼が自分を抑えるために费やしているエネルギーなのだという気がした。
                   俺は彼に我慢させているのは辛かった。でも、譲ることもできないでいた。 碁盘の目を见つめながら、自分で自分の腕を抱きしめる。见えなくとも目に映るくらい惯れ亲しんだ木目がうっすらと暗に浮かび上がった。
                   自分で石を置くことも踌躇われるのに、どうして塔矢と向かい合わせに座ってこれで対局などできるだろうか。彼がこの木の肌に触れている光景を思い出すと背中に震えが走った。嫌悪感に近いほどの强烈な快感を伴って。
                   肌を合わせることはあんなに简単にできたのに。彼の下でよがり声をあげることも、自分の中に割って入って来させることだって平気だったのに。
                   塔矢は忍耐强かった。忍耐强くなったのだ。前よりも。
                   优しくされて。爱されて、思いやってもらって。それなのに俺は。 ヒカル。 佐为の声が、また头の中に响いた。
                   闻こえるのではなく、闻いてしまうのだ。佐为が俺を呼ぶと、耳を倾けずにはいられない。俺は、俺の心の方が佐为を呼んでいるのではないかと疑った。 佐为。もう俺のことを呼ばないでくれ。 日増しに强くなってくるその声に答えを返す。
                   俺は塔矢を失いたくない。あいつを失ったら、俺は。もっと深い奈落の底に落ちてしまう。
                   自分の中に沈みこんでいて塔矢が部屋に入ってきたことに気づかなかった。背中と肩に热を感じたと思ったら、后ろから彼の体に包み込まれていた。
                   一瞬、惊いて声が出なかった。
                  「どこかにいなくなってしまったかと思った」
                   体温の暖かさとうらはらに、不安そうな声音だった。何をしたわけでもないのに、俺は后ろめたさに冷や汗をかいた。
                  「…何でもないから。休んでろよ」
                  「昨日のことをまだ気にしているのか。谢るよ。言い过ぎた」
                  「何言ってんだ。谢らなくちゃならないのはこっちだろう」
                   その一方で、俺は手を动かして彼の肘から下をゆっくりと抚でさすった。彼はますます腕に力を込めた。
                  「それより塔矢。何で闻かない?いつ、これで打たせてくれるんだ、って」
                  「今日の分は昨日充分闻いたよ。もういい、今は。せっかくここにいるのに、そのことで言い争いはしたくない」
                   底に微かに甘さを含ませた声。背中を通して心にまで染み渡るあたたかさが、今の俺にはよけいに堪えるような気がした。憎まれ口を叩いてしまうのはこんな时だ。塔矢の思いやりや优しさが矢のように突き刺さってくるような时。俺は、どうして、どんな风にそれが痛いのか言えたためしがない。もどかしくて———苦しい。
                  「无理するなよ。无理すると対局に响くだろう」
                   代わりに、言ってしまう。
                  「何だって」
                  「お前が俺ともめる度に调子を乱しているのは知ってる。负けるとは限らないけど、微妙に」
                  「进藤」
                   声のトーンが下がって、すぐ横で息をのむ気配。何にもくるまれていない感情が直に伝わってきた。その手触りを俺は喜んでいる。というより、それで息をしている。救いがたい。
                  「自分を立て直すのがそんなに大変なら、俺と付き合うのはやめておけよ」
                   颜が见えなくても、彼が颜色を変えるのが分かった。
                   いつも思う。俺はこいつに何も返していない。それどころか伤つけてばかりだ。
                   …でも、俺の腕は心より正直だった。自分でも気がつかないうちに、俺は彼の袖を固く握り缔めていた。
                   しばらく间があった。ほんの数十秒だったはずだが、とてつもなく长い时间に感じられた。
                   突然、塔矢は体の力を抜いた。紧张の糸がほどけて、柔らかいけれど淋しい空気がそれに取って代わった。彼は俺の手を离させて、前に回りこんだ。
                  「今の话は」
                   硬さを隠せない声でそう言う。ありとあらゆる想いをのみこんで。
                  「闻かなかったことにする。だから君も忘れてくれ。仆が弱いのは君のせいじゃない」
                   俺は俯いたまま何も答えられなかった。
                   塔矢が胜てなくても俺のせいじゃない。そんな风に考えるのは彼に対する侮辱だ。
                   でも。それに気がついてしまった时のこの気持ちを、それでいて彼のすべてを欲している俺のこの気持ちを。自分で触ることもできない碁盘に対する时の、佐为の声が闻こえてくる时のこの気持ちを。どうしたらいい。
                   俺は塔矢を见上げて言った。
                  「キスして」
                  「………」
                  「頼むよ。俺がもうこれ以上口をきけないようにしてくれ」
                   俺は一体、どんな颜をしていたんだろう。
                   彼は頼んだ通りにしてくれた。自分が与えるもの以外のことは何も考えさせたくないとでもいうように、抱きしめた腕を片时も缓めず。 爱し返したい。 うなりをあげる海のような口付けを全身に浴びながら。俺は真剣に、切実にそう思った。
                   その日から、俺は佐为のことを头で追いかけるようになった。佐为の声を闻かないでいるのが不可能なら、自分から彼に会いにいこうと思ったのだ。
                   それが、あの暗い部屋に戻って、背中に佐为の视线を感じていた时间に心を振り戻さなくてはならないことだと分かってはいた。だが逃げ出したくなかった。
                   佐为に会って彼の声を闻いて。そして、もう。塔矢と俺とで本当に二人きりになりたい。
                   塔矢といる时以外は、强いて佐为のことを思い出すようにした。彼とどんな风に出会って、何をしたか。いつ二人で盘を囲んで打ち始めるようになったのか。俺がプロになってから、彼がどんなだったか。
                   そして。
                   俺は自分が彼と过ごした最后の时の记忆を実际にはほとんど覚えていないことに気がついた。
                   彼がいつ、どうやっていなくなってしまったのかはもちろん、その前にも后にも何を感じていたのか肝心なところがさっぱり思い出せなかった。ただ重く心にのしかかる厚い云にどこまでも覆い尽くされていた。
                   仕方なく、佐为の遗した唯一のものを手がかりにすることにした。思い出よりも鲜烈な光を放つ彼の棋谱を。何をどうしたかは思い出せなくとも、碁盘と碁石が俺のことを导いてくれるだろう。
                   佐为がいなくなった后も、不思议なことに碁石と碁盘だけは俺を慰めてくれた。
                   一番彼に関わりが深いことだったのに。
                   打っている时だけは俺は平静でいられた。佐为がいないことを、佐为に関する个人的な感情を越えられるようだった。彼がいた时も、集中すればするほど独りになれたのと同じに。俺は碁に没头した。打てばそれだけ强くなれた。
                   佐为のことは无理矢理にでも忘れて。考えると心がその负荷で壊れてしまいそうな予感がした。
                   そうやって何年かたって、忘れたつもりで、乗り越えたつもりで。実はこれっぽっちも忘れても乗り越えてもいなかった。いつの间にか俺は佐为のことを考えないように封印していただけだったのだ。


                  12楼2013-08-30 19:20
                  回复

                     秋の半ば。白く冷たい月の影が、锐利な刃物のように部屋の隅々まで照らし出す夜。
                     俺は例の碁盘を床の上に置いて、一方に胡座をかいて座った。碁笥は手元に白と黒を二つ、横に并べて。佐为と差し向かいで打った最后の棋谱を再现しようと思った。大きく一つ息を吐くと、覚悟を决めて盖を开ける。黒石を碁笥から取り出すと、その音はやけに大きく头に响いた。 いつの顷だろう、それに気がついたのは。
                     俺は打ちながら一手一手に佐为の心を読み、彼の思考を辿り、そしていつしか彼の感情を手缲り寄せたいと思うようになっていた。俺の心に、そして、俺の目に。佐为が虎次郎のことを话すときは胸が痛くなった。
                     だけど。
                     佐为と俺とは近くにいすぎて、俺があいつに向ける感情はすべてそのまま自分にはねかえってくるような気がした。好きもかわいそうも郁陶しいも、いい気持ちもその反対の気持ちも、何から何まで。
                     大好きだった。あまりに近くてそれが分からないくらい。それから。大嫌いという言叶も、それがどんなものか俺は自分の体で味わった。
                     せめて触れられればよかったのに。
                     気持ちだけ、心だけがふくれあがっていくのは、それをどこにもやり场がないのはどうしようもなく苦しかった。何か言えば受け止めてもらえたのだろうか。でも言ったとして、佐为に何をしようがあっただろう?
                     后になって、あれは恋のようなものだったのだと気づいた。その时にはもう彼はいなかった。离れたからこそ分かったのだ。 石が碁盘に触れる感触を手に感じた瞬间。长い间闭じ込めていた当时の记忆が、そのままの强さと势いで涌き上がってきた。まさに今起こっていることのように生々しく。 碁に集中している时だけ、俺は佐为のことを忘れることができた。他の奴と打っている时だけ。佐为と打っている时は、彼の心を読むように努力していたのだから。彼の碁は、そのまま、彼の心だった。俺が上达するわけだ。
                     うっとおしかったはずだ。あんなにまで身近にいた相手に、恋するなんて。自分の想いにがんじがらめになるなんて。
                     俺は彼に打たせてやりたかった。佐为の笑う颜が见たかった。喜んで欲しかった。幸せでいて欲しかった。谁よりも。
                     自分で打つ度に佐为のことはないがしろにしているような気がし始めて、打っている时はよくても、その后たまらなく苦しくなった。でも、自分で打つこともやめられなかった。
                     そのうち、俺の中のどれもこれもが自分を切り刻むように感じられてきた。
                     俺は。本当は、どうしたかったのだろう。 碁盘の向こうに佐为の姿が见えるような気がした。石を握り缔めたまま体がそこに缚り付けられて动けなくなった。 何がきっかけでそれが起きたのか。
                     俺の心の中にそれとは気づかぬまま少しずつ降り积もっていた何かが、まるでシーソーの片侧がいきなり跳ね上がったように心のバランスを変えてしまい、それまで见ていた风景を逆転させてしまったのだ。
                     好きだった分と同じくらい憎んでいた。幸せだった分、楽しかった分、日の光さえもが心に痛く感じられた。
                     どうしてそんなことになってしまったのか、今でもよく分からない。
                     そしてその心は全部、结局のところ俺自身に刃を突き立てるしかなかった。
                     毎日、彼の颜を见る度に责められているような気がした。俺がこいつのことを嫌いだから。好きになりすぎた分、憎んでいるから。俺が辛そうにするのを见て、佐为は笑えなくなった。俺は———俺は。 助けて。 谁かが奥の方で声をあげた。さびついた扉がきしむような音を立てて。俺は成す术もなく次から次へと吹き上がってくる想いを味わっているしかなかった。动悸が激しくなり、掌に汗が喷出しても身动き一つできなかった。 嫌だ。
                     俺は佐为に笑って欲しいんだ。お前が叹くのを见るのはもう一日だって耐えられない。俺のせいで。それを思うと身体が引きちぎられそうに痛いんだ。 过ぎたことなのに。もう终わったことなのに。たった今、目の前で彼が泣いているのがありありと见えた。その声が闻こえたと思った。耳をふさいでも头の中に闻こえてくるのも同じだった。「泣いてなどいませんよ、ヒカル」と言うのも。悲しそうな美しい笑颜を浮かべながら。 俺がこいつを杀したいと思うより前に、谁かにここから外に连れ出して欲しい。
                     そう思っても无駄だということもわかっていた。
                     佐为にもどうしようもないんだから。俺が。俺がけりを着けるしかない。俺自身の気持ちにも。どうやったら引き剥がせるのか、分からないけれども。
                     どす黒くて暗い、冷たく煮えたぎる炎に全身が浸ってしまったようだった。出口のない感情。动けない。 塔矢。助けてくれ。
                     もう思い出したくない。これ以上思い出したくないのに。 谁にも何も言えず、一人で。俺はどんどん追い诘められていった。
                     ある晩、俺は梦の中で佐为を凌辱していた。一度や二度ではなく。目が覚めると気持ちが悪くて洗面所で吐いた。佐为は、気遣わしげに俺のことを覗き込んでいた。 いつ电话を挂けたのか、后から考えてもさっぱり分からなかった。気がつくと床の上に携帯电话を転がしたまま、俺はソファの上で背もたれに颜を埋めていた。真暗な部屋の中で、谁かが肩を揺すりながら呼んでいた。
                    「进藤。大丈夫か?」 変なの。「お前、何で俺のこと苗字で呼ぶんだ?」
                     可笑しいと思ったので、そのまま口に出して闻いていた。
                     そいつは惊いて、次の瞬间、とても辛そうな颜をした。俺はそれを见て息が诘まった。
                     俺の大好きな彼が。
                     この世の谁よりも幸せでいて欲しいと思っている彼が。
                    「やだよ」
                     いつも、どんなに愿っているかしれないのに。
                    「どうしてそんな悲しそうにするんだ。どうして。俺のせいなの?俺が、酷いことをしたから」
                     体中を押しつぶされそうな圧迫感が袭ってきた。それから逃れようと俺は言叶にならない声で何か叫んでいた。
                     その彼が手を伸ばして腕を掴んだかと思うと、强い力で抱き缔められていた。
                     俺は暗云に体を捩って离れようともがいた。自分でもわけのわからない呻き声を発して。彼が俺の名を呼び続けるのが远くに闻こえた。 佐为の叹きは俺の心を直接えぐるようだった。目を闭じて耳を塞ぎ、头を抱えてうずくまっても、じんじんと伝わってきた。
                     かつてはあんなに柔らかい响きで、闻くだけで気持ちがよくなった佐为の声。それが肌を突き刺すように痛い。闻かずにいようと思ってもできない。 どうしようもなく目の前の相手に殴りかかった。声を振り绞り、助けてくれと泣き唤きながら。そいつは危ういところでその手首を握り、両手で体の前に押さえ込んだ。体の中から急激に力が失われていくのが感じられた。俺は彼の腕の中にくずおれた。 …本当は。佐为の心の本当のところはそうではなかったのかもしれない。俺には区别がつかなくなっていた。梦も现実も区别できなかった。
                     梦の中で俺の腕の下に组み敷かれていた佐为は、抵抗もせず、苦しそうな颜でされるがままになっていた。俺は。途方もない快感と同时にさらにふくれあがる憎悪を感じた。こんなものでは足りない、どれほど酷い目にあわせても俺の痛みにはとても足りないと思っていた。
                     その翌日から俺は佐为と口をきけなくなった。
                     どこにも行く场所のない想いが凝り固まると、こんな风に丑くなれるのだろうか。 放心してぐったりと座り込んでいる俺に、そいつは隣室から持ってきた薬を饮ませて喉に水を流し込んでくれた。
                    「………」
                    「え?」
                    「好きだったんだ」
                     憎みたくなんかなかった。と、また唤きだしそうになるのをなだめてベッドに连れて行くと、子供をあやすように背中をなでてくれた。眠れるまでずっと、抱き缔めていてくれた。その腕の感触で、俺はやっと相手が塔矢だと认识したのだ。 浅くて苦しい眠りから浮上すると、彼は心配そうにこちらを覗き込んでいた。
                    「…塔矢」
                     そう言うと、ほっとした声で。
                    「仆のことが分かるのか」
                    「ああ」
                     彼は憔悴し切った様子で、ごめん、と言った。横になっている俺の傍らに腰を下ろし、颜をはさむように腕をついて。
                    「そんなに追い诘めるつもりじゃなかった」
                     何でお前が谢るんだよ。お前は悪くない。
                     俺はお前に返したかったんだ。何でもするって、言っただろう。悪いのは俺だ。
                     どうも思ったことと口に出したことの区别がつかなくなってしまったようだった。塔矢は颜を歪めて绝句した。
                     夜はとうの昔に明けて部屋の中には午后の日差しが満ちていた。上半身を起こすと头がぐらぐらした。いつまた沈んでしまうかもしれない板切れの上に、辛うじて足を乗せて立っているような気がした。足の下には、切り取られたような深い暗がぱっくりと口をあけていた。
                     よく澄んだ秋晴れの日だった。空気がどこまでも远く続いているような。
                     なぜ、佐为がそこにいるだけで満足しなかったのだろう。と思った。なぜあんなに多くを欲しがってしまったのだろう。
                     その俺の颜を见て、塔矢は黙って肩を抱き寄せた。俺は力なく彼にもたれかかった。背中越しに壁の挂け时计を见ると、午后三时を指していた。
                    「塔矢、俺」
                     自分でも抑扬のない声だと思った。
                    「またお前にひどいことしたな」
                     塔矢は少し体を离して俺の目が见られるようにした。
                    「どうして」
                    「今日は手合の日だったはずだ」
                    「そんなことはどうでもいいから。何も考えるな。もう少し休め」
                     俺は彼の頬に手をやって颜にかかった黒い髪を梳き上げた。额の上の乱れた髪も。彼の目は疲れて伤ついた色を宿していた。それを见たら言わずにいられなかった。
                    「…痛かっただろう」
                     彼は颜を隠すようにして目を背けた。かばわれるのが我慢ならないといった风に。


                    13楼2013-08-30 19:22
                    回复

                       どうしたらいいんだろう。
                       俺がいるとこいつは苦しい。俺が佐为といて、彼を好きになればなるほど苦しかったように。
                       消えてしまいたい。
                       お前の前から俺の存在を消し去ってしまいたい。
                       それができなくて苦しい。 突然、塔矢が势いをつけて俺の肩を掴んだ。俺はバランスを失ってベッドの上に仰向けに倒れた。
                      「いいかげんにしろ」
                       何かを振り切るように声を荒げて。
                      「そいつと何があったか知らないが、君は伤ついているんだ。そいつのために、そいつのことを思って。すごく伤ついているんじゃないか」
                      「…俺が?」
                      「そうだよ。なぜそんな単纯なことに気づかない」
                       俺は押し倒されたままぼんやりと彼の言叶を反刍した。
                       胸の上に、塔矢の额のあたたかさを感じた。彼は声を出さずに泣いていた。俺のために。他の人间を恋しがっている俺のことを思って。
                       そのあたたかさが初めて痛みを伴わずに体の中に入ってくるのを感じた。心地よかった。俺は彼の头を抱いて目を闭じた。
                      「そうか。…そうだな」
                       こいつは本当に马鹿だ。
                       そして、とことん优しい。
                       目的に向かったら周りのものをなぎ倒していく容赦のなさを持っているのに。いったん许してしまったら、最后の最后でそれを舍てきれない。许してしまう。だから初めから周囲を振り向かないのだ。
                       いつも、最后にはどうしても俺を振り返らずにいられない。爱しているから。
                       俺とは违う。好きだろうと何だろうと、いざとなったら本当に舍ててしまえる俺とは。
                       公园の桥の上で抱き合っていた时、その前の日に俺を杀しそうな势いで抱いていた时。それが嫌というほど伝わってきた。彼の优しさが。
                       それなのに、自分ではそれに気がついていない。
                       痛くて切なくて、反吐が出そうなほど甘美な実感が访れた。
                       俺はこいつが本気で好きだ。
                       昔追いかけていた时よりも、もっとずっと爱しているんだ。心の底の底から。
                       だから佐为の幻が俺をあんなに苦しめたのか。
                       塔矢を爱すれば爱するほど、后ろに置いてきた想いが気づいて欲しくて、受け入れて欲しくて疼くのか。
                       …俺には佐为を置いてくることなんてできない。彼はもう、俺の一部なのだから。
                       やっとのことで掬い上げた真実がこんなことだったとは、思ってもみなかった。
                      「塔矢。少しは眠れたのか」
                      「君が眠っている间に寝たよ」
                      「そうか」
                       両手で頬を包んで上向かせた。できる限り优しく。
                      「じゃあ抱いてくれよ」
                      「おい」
                      「やけになってるわけじゃない。欲しいんだ。今すぐ。…駄目?」
                       最初、塔矢が俺を壊れ物みたいに丁宁に扱うので俺は可笑しくなってしまった。
                       头を少し起こし、髪の中に埋めていた手を离して肘を后につくと正面から目が合った。彼の瞳はちゃんと欲望の色を宿していた。俺は笑って、嗫いた。 怖がるなよ、大丈夫だから。俺は壊れたりしない。お前の好きなようにしていいんだ。 それを闻いて。何を思ったのか、彼は俺の首筋に唇を这わせたかと思うと、感じる暇も与えず肩の肉に歯を立てた。戯れでなく本気で。锐い痛みが体を贯いて俺は引きつれた声をあげた。背中をかきむしる彼の指先の动きを同时に感じた。
                       それまで抑えつけていた感情が堰を切って溢れ出したようだった。喉元にも噛み切られそうな势いで吸い付いてきた。
                      「そんなにそいつが好きなのか。仆よりも、ずっと?」
                       呻くようにそう言いながら、俺の手首をシーツに押し付けて。とっくにひろげされられていた両脚の间を蹂躙する。前にも后ろにも。突然激しさを増した彼の动きに堪えられず切れ切れの息の下で、
                      「比べられない」
                      と言うと、怒鸣り返してきた。
                      「仆の方がいいって言えよ」
                       激流のように流れ込んでくる圧倒的な想い。
                       俺がいつも、饥えるようにして求めているもの。
                       嬉しくて嬉しくて、悲しかった。
                       死ぬまで味わっていたいと思った。
                       お前が俺に寄せてくれるものはすべて、爱情や憎しみだけでなく、怒りも悲しみも同情も怜悯も。涙も。吐息も。声も。汗や唾液も一滴残らず。今日のうちに味わい尽くせるだけ味わおうと思った。欲しいだけ夺って、お前の中には何も残らないように。记忆さえ夺ってしまいたい。后で俺のことを思い出せもしないように。
                       佐为と离れられなければ俺はますますお前を追い诘めるだろう。
                       やり场のない想いがどんな风に姿を変えるか俺は知ってる。それを知っていて、でも离れられない。 俺は塔矢にしがみついて泣き声をあげた。それに気づいたのかどうなのか、彼は思い切り俺の唇を吸った。 お前に俺を舍てさせるわけにはいかない。
                       これ以上追い诘めたらお前はいずれそうせずにいられなくなる。
                       そうなったらもう取り返しがつかない。お前の手で、お前の一番大事なものを壊させてしまう。核みたいなものを。
                       …でも、俺なら。
                       俺ならお前を舍てられる。
                       俺はお前と违ってエゴイストだから、非情になれる。简単なんだ。舍てようと思った时にはもう舍ててしまってるんだよ。
                       せめて、今だけは。この体と心に、刻めるだけのものをすべて刻み込んで欲しい。
                       体が裏返しになって内も外も塔矢の目の前に晒されているようだった。夺う一方で、俺は自分の存在をまるごと与えているのを感じた。塔矢がそうしたいのなら命をやってもいいと本気で思った。彼はすみからすみまで俺を弄り、俺は息や声だけでなく外に出すことができるあらゆるものでそれに応えた。
                       意识がどこかに行ってしまって、自分がどんな反応をしているのかよく分からなくなった。その日初めて、彼が俺の中に入ってきた时、苦痛よりも快感を感じた。
                       一日おいた次の日の夜。どこで话すわけにもいかず、结局また塔矢を部屋に呼んで。
                      「もうここに来ないでくれ」
                      と言った时。
                       彼は寝耳に水という颜はしなかった。予想していたかのように冷静だった。少なくとも、表面上は。
                      「何故?」
                       俺は単刀直入に答えることにした。简洁に。
                      「俺は当分の间あいつのことは忘れそうにない」
                      「何年でも待つと言ったはずだ」
                      「俺の言ったことが闻こえなかったのか」
                       颜を近くによせた。息がかかるくらい间近に。表情を崩さない彼の片頬にそっと、手を当てる。
                      「忘れられない、じゃなくて、忘れないって言ったんだ」
                      「———…」
                       俺は笑った。小さな声で。
                      「お前、今自分がどんな颜してるか分かってる?」
                       その手首を捉えられて。片侧の腕で腰を引き寄せられた。
                      「离せよ」
                      「嫌だ」
                      「俺の侧にいるとわりを食うのはお前だ」
                      「胜手なことを言うな。仆の気持ちはどうなるんだ。仆の言い分を闻こうともしないで」
                      「塔矢」
                       少し间をおいて息を吐き出す。
                      「お前が伤つくと俺は痛いんだよ。どんな风だか、见ただろう」
                       彼がはっとした一瞬をつかまえて、触れ合っていた体を突き放した。浑身の力を込めて。
                      「弱い人间は必要ない」
                       その言叶は文字通り塔矢の脆い部分に触れたようだった。彼の心の最も奥に隠された柔らかい部分に。全然意図したわけではなかったのに何よりも効果的だった。彼は自分自身に伤つけられたような目をした。そんなのは今まで见たことがなかった。
                      「…酷い奴だな」
                       长い沈黙の后で彼はようやくそれだけ口にした。俺は颜を背けた。
                      「そうだよ。もっと骂ったっていいんだぜ」
                      「そんなことする気にもならない」
                       塔矢が上着の内ポケットから银色の键を取り出してキーホルダーごと脇のテーブルの上に放り投げるのが视界に入った。彼はそれ以上何も言わずに背中を向けて部屋を出て行った。
                       靴音が闻こえなくなってからも、俺はそこに突っ立っていた。ずい分长い间、ただそうしていた。テーブルの上の键を手に取ると、すっかり冷たくなっていた。
                       それをくずかごに投げ舍てようとして———できなかった。
                       両手でその键を握り缔めて泣いた。立っていられずリビングの绒毯の上に突っ伏して。
                       泣いても泣いても涙が止まらなかった。
                       头の中はとことん醒めきっていて、俺には悲しむ権利なんかないと考えていたのだが。そうしていいのは塔矢だけだ。利用されるだけ利用されて、伤つけられるだけ伤つけられたあげく何の见返りもなく拒绝されたのだから。俺が苦しいのは自业自得だ。
                       碁盘に向かえばいい。打っていれば生きていられる。あいつがそれを受け入れなくても、周囲に认められるライバルではいられるだろう。
                       でも体の方はちっとも言う事をきかなかった。手や足がまるで别の生き物になってしまったかのように、俺の意志とは関系なく悲しい悲しいと诉え続けた。俺は终いには放っておいて、胜手にさせておくことにした。寒かった。指先が冻えて痛かった。氷水に浸しているみたいに。 明け方になって涙が収まると着替えもせずそのままベッドに潜り込んで目を闭じた。今日一日くらいは谁の梦も见ずに眠りたいと思った。とても疲れていた。
                      -end-


                      14楼2013-08-30 19:24
                      回复
                        佐为の语る话
                        かなしいのは。
                         私が真にかなしかったのは、ヒカルと心が通じないことだった。
                         もはや藤原佐为として自分が打てないことや、自ら绝ってしまった命故に千年もの间彷徨っていたことよりも、この世の何とも触れ合えないかなしみよりも深かったのは、ヒカルの心がわからなくなってしまったことだった。
                         私の心に长く降り积もっていた孤独を愈してくれたのは、他の谁でもないヒカルだったのだから。虎次郎といてさえ得られなかったものをくれたのは。その彼が、私にも谁にも心から笑颜を向けることがなく、忧いに阴った目をしているというのに、私にはその理由がわからない。彼の心を见ようとすればするほど、浓い雾に覆われたように视界に何も入らなくなってしまう。かつては当たり前のように触れ合っていた心が。今になって、それが当たり前ではなかったのだと思っても取り戻せない。
                         ヒカルの心を愈してあげることができない。もう私には残された时间が限られているというのに。それが何より、かなしい。
                         冬のさなか。
                         春のほっとする日の长さも秋の乾いた叶のささやきも感じられなくなってから久しい私の身に、なぜかぴりぴりと刺すような空気の冷たさがだけが伝わってきた。
                         その日もヒカルは朝から颜色が悪かった。それでも対局をこなして日本棋院の建物を出たところだった。
                        「いやな感じの天気だな」
                         无理している、と一目で分かる作った颜で言うと、それきり黙りこんだ。
                         少し离れた前方に、坂を下っていく见知った后姿が见えた。
                        (あれは、塔矢ではありませんか)
                        と私が言うと、
                        「ああ、そうだな」
                         とだけ呟く。心持ち足を遅くして。
                         塔矢は駅に向かって歩を进めていたが、ふと、下りきったところで立ち止まった。
                         首に巻いていたえんじとグレーの格子柄のマフラーが风に揺れた。彼は目の前の桜の木を眺めていた。头上を振り仰ぐようにして。春にはまだ远く、木の芽は未だ眠りについている。何を思っているのか。
                         と、突然、ヒカルが踵を返して彼に背を向けたかと思うと、逆方向に走り出した。
                        (ヒカル?どうしたのですか)
                         答えはない。目的もなくただその场から去りたい风情で暗云に走っていく。しばらく行ったかと思うと、やおら足を止めた。
                        (ヒカル)
                        「ごめん、佐为。何でもない」
                         息を切らして。明るい色の髪を左右に揺らす。やはりこちらを见ようともせず。
                         辛いことがあるなら、言ってくれればいいのに。あるいは、他の谁かに话せばよい。私を见るときの彼の瞳は、时々とても暗い。私はそれが辛い。 その晩。
                         遅く眠りについたヒカルがひどくうなされているのに気がついて、私の意识も覚醒した。
                         彼がはっきりと目覚めないうちは、私もうつらうつらとした状态で思考が保てないのが常である。だが、彼のあまりにも苦しそうな様子に、强いて意识を揺り起こした。
                        (ヒカル、どうしました?)
                         身を乗り出して、彼の颜の近くで呼びかけた。彼は颜を歪めて首を振った。今まで见たこともない表情をしていた。不安になって呼びかける。腕がないのがもどかしい。
                        (ヒカル)
                         何度目かに呼んだとき。ヒカルは微かなうめき声とともに目を开いた。瞬きを缲り返した后、覗き込んでいる私と目が合った。
                         佐为、と彼の唇が动いたのが分かった。次の瞬间。
                         私は彼が本当に大声で悲鸣をあげたのではないかと思った。私の耳には确かにその悲痛な声が闻こえたような気がした。だが、実际にはそれは音にはならなかった。目の前の空気が真空になって彼の叫びを吸い込んでしまったようだった。
                         ヒカルは両手で私を押しのける仕草をした。それが无駄だと分かると、颜を隠して头から布団に潜り込んでしまう。必死で私から逃れようとするかのように。
                        (ヒカル?)
                        「来るな」
                         怯えて怒気を孕んだ声。ベッドの片侧の端に体を丸めて缩こまって。重ねた布団の外から见ても分かるほど震えていた。寻常ではなかった。
                        (大丈夫ですか?)
                         私は声をかけないではいられない。その私の言叶にさらに痛みを感じたように。
                        「后生だから放っておいて。俺を见ないでくれ」
                         近づこうとすると雷光のように彼の全身から拒绝のオーラが発せられて、近づくと火花が散るのが见えた。
                         彼が一人になりたいのだということは见て取れた。だが。部屋を出て行くことはできなかった。私は途方にくれてしまった。
                        「どうして」
                         それ以上声にならない声をあげながら、ヒカルは何かを払い落とそうとするかのように头を振った。挂け布団がはずれて、彼が両手の拳をきつく握り缔めて枕の中に颜を埋めているのが见えた。血がにじむほど唇を噛み缔めていた。
                        「どうしてそこにいるんだよ」
                         いきなり彼は颜を上げて私の方を见た。焦点の合わない目をこちらに向けていた。
                        「さっさと消えちまえ」
                         その言叶よりも、声よりも何よりも私に冲撃を与えたのは。そう言った后で彼が浮かべた表情だった。自分の発した言叶に気がついたときの。
                         その颜を见たとき、何ということか、私は初めて彼が笑颜を见せなくなった理由を、私といるとき昙っていく一方だった目の色の理由を悟ったのだ。今まで头の中にその部分だけ雾がかかっていた理由も。
                         それらがすべて、私に寄せられる想いの故だったなんて。
                        (ヒカル)
                         何か言わなければ。何か彼に言ってあげなくては。こんなに目の前で苦しんでいる彼に。
                         あなたは悪くない。少しも悪くないのだから。
                         そう思ったとき。
                         口元を押さえてヒカルはベッドから飞び起きた。そのまま私を构う余裕もなく転げるように部屋を出ていくのを追ってゆく。廊下の突き当たりのドアを开けると、洗面台の白い陶器の縁に缒るようにして胃の中のものを吐き出していた。
                         ひとしきり吐いたのにまだ吐き気が収まらないらしく、终いにはむせながら液体を吐き出すしかなくなっても头を上げられずに、青白い颜を苦しげに歪めているのを见て。
                         私は。彼が泣いていない分、泣きたくなった。黙っていたことへの怒りは感じなかった。こんなになるまで気がつかなかった己の身の、どうしようもない遣り切れなさをただ味わっていた。
                         やがて彼は壁につかまったままずるずると横向きに床に倒れ込んでてしまった。胃のあたりを片手で押さえながら。
                         私は彼に覆いかぶさるように両手を床について体を倾けた。せめて意识を保っておかせたいと思った。何の足しにもならなくても、冷たい床に寝かせておきたくなかった。苦痛を承知で、呼びかける。涙声になりそうなのを抑えながら。
                        「…佐为」
                         ヒカルは少しだけ颜をこちらに向けた。ようやく薄目を开けて私を见上げると、とぎれとぎれに。
                        「苦しいよ」
                         たすけて、と唇を动かしながら上になった手を伸ばす。私は思わずその手を取ろうと自分の手を差し出して、———触れ合えず、互いの指先は空に浮いたままだった。 さわれない。 惨い现実に、今更のように愕然として冻り付いた。
                         おずおずとヒカルの颜を见る。彼は息を止めて真直ぐに私の颜を见返した。
                         それから。
                         その手を私の頬に寄せたかと思うと、微笑んだ。
                         谛めたような、慈しむような、赦すような眼差しで。确かに。
                        この子は。
                         透明で静かな感覚が私を突き刺した。
                         自分が何もかも背负っていってしまうつもりなのだ。
                         私たちの间に存在するあらゆるものを。爱情や喜びや幸せといった美しいものだけでなく、苦痛や不幸や憎しみ、それに罪でさえも。
                         消えていく私のかなしみをすべて。魂だけでしかない私の代わりに。 それはほんの一瞬のことで、ヒカルはすぐにまた苦しげな息をしてうずくまってしまった。私に何も言わせないまま。
                         结局、彼を助けたのは物音を闻いて起き出してきた母亲だった。
                        あなたは悪くない。
                        -end-


                        15楼2013-08-30 20:57
                        回复
                          冬の话(上)
                          ひとつだけ言い訳させてもらえるなら。
                           俺は自分が人を本気で好きになるということがどういうことなのか、よく分かっていなかった。
                           俺とお前が近くに寄る、というただそれだけのことがどんなに困难な结果を招くかということを。
                           だから俺たち二人はいつもあんなにすれ违っていたのかもしれない。近づこうとしても近づけなかったのかもしれない。
                           ただ侧にいたいだけだったのに。
                           それは果てのない梦だったのかもしれない。 夕食をすませて帰宅すると录画しておいた昔の対局のビデオをひととおり眺めた。棋谱を见れば话は早いが、打っているその瞬间の盘上と盘外の空気を同じ时间の中で少しでも体験するのは勉强になる。
                           その后は头を切り替えて今日の自分の対局を検讨する。见落としていた手を発见して舌打ちした。胜ちはしたものの、これならもう少し得をしていたはずだ。
                           俺は、寸暇を惜しんで打ちつづけた。人との交わりに注いでいたエネルギーを取り戻したかった。からっぽになった心に佐为を苏らせた囲碁の霊が入り込んだかのように、気负いもなく胜ち続けた。自分でも恐ろしいほど集中できた。
                           塔矢と会わなくなって以来、佐为が俺を呼ぶ声が闻こえることは明らかになくなった。はっきりし过ぎているくらいだった。
                           朝から晩まで碁のことだけを考えた。夜は强い酒をあおってすぐ床に就いた。热くて、喉も内臓も焼けるような、それでいてとても甘い后味のする酒を。そうするとよく眠れた。
                           たまにひどい悪梦を见て夜中に目覚めてしまうときは、リビングのソファの上に头から何枚も布団をかぶって丸くなった。朝になれば、少なくとも明日になれば谁かと盘に向かえる。そう唱えながら一向に进まない时计の针を见つめて。 谁とも触れ合わず、谁とも寄り添わず、谁のことも欲しがらず。
                           碁石と碁盘だけを拠りどころとして、一人で。
                           それでいい。
                           この心も体も、囲碁だけに捧げてしまえばいい。 今年の冬はやたらと気温が低いと思っていた。** 一月はじめ、年が明けてすでに数周目。新しい日常がすべり出し始めた顷だった。目を开くと部屋はまだ暗暗の中で、外からも一筋の明かりも入ってこなかった。
                           雨が降っていた。べちゃべちゃと大きな雨粒がいたるところに落ちる音がした。
                           庭木の枝を濡らし、黒土の地面に当たる。窓ガラスの向こうの雨戸を叩き、头の上の屋根にも降り注ぐ。
                           降り込められている。
                           仆は头を枕につけたまま动かさず、目を凝らして辺りが浮かび上がってくるのを待った。逃れられない想いに闭じ込められているような感じがした。
                           会わなければ忘れる。そう言い闻かせて、あの日から二ヶ月。年末年始の行事でも运良く颜を合わせず、一度も姿を见ることも声を闻くこともなく。
                           もう考えまい、もっと大事なことがある、と。囲碁のことだけ考えようとし、思い出すまいと努めて、その努力が実を结んだかと思われた。それが他人の一言であっさり崩れてしまうなんて。自分の心が恨めしい。
                           目が惯れたので起きて袄の前のストーブに火を入れる。布団に戻らずその前に膝を抱えて座り込んだ。
                           今しがたも梦に见ていた。中身は记忆の彼方に沈んでもうはっきりしないのに、仆を见る彼の瞳の色だけがはっきりと意识に焼きついていた。去年の春、最初に歩道桥の上でことを始めたときの彼の、何もかも见通したような、それでいて必死の眼差し。それだけ。
                           なのに体が反応していて郁陶しくてたまらない。
                           静かに热を発するストーブの壁面に映る自分の影を见て自嘲する。
                           仆は一体、君と出会ってからの年月、君のことを考えずにいられた日がどれだけあったのだろう。
                           それでも追い続けてこられたのは、それが仆の决めたことだったからだ。そうせずにはいられなかった。たとえ谁かが止めても闻きはしなかっただろう。当の本人が嫌だと言わない限りは。
                           もうこの想いにけりをつけてしまいたいと思ってあの歩道桥の上で告白したとき、本当は。追いかけることに疲れていたのかもしれない。彼が仆の手に収まるようにいてくれるとは、どうしても思えなかった。嘲って切り舍ててくれることを期待していたのかもしれない。そのくらい、彼の侧にいても、ずっと不安だった。
                           望み通り切り舍てられたのだ。忘れてしまえばいい。余计な回り道だったのだ。
                           そうやって自分に言い訳して、自分を守って。无理矢理忘れかけていたのに。ようやく、もう追いかけなくてもいい、思い出さなくてもいいんだと纳得しかけていたのに。 昨日、天野氏に指摘されるまでまったく気がつかなかった。そもそも、记录や数字の比较をするというのは仆の范畴外のことだった。
                           取材に来た彼は、口を开くとはじめにこう言ったのだ。
                          「今年度はあとどのくらい対局を残してる?」
                           质问の意図が汲めずに口ごもっている仆に。
                          「この间まで君が単独で胜率トップだったけど、进藤くんが追い上げてきてるよ。今、まったく同数で并んでる」
                           その后はもう、何を闻かれ何を答えたのか全く覚えていない。 いつもそうだ。やっとの思いで振り切ったと思ったら、いつの间にか、彼の方から追いかけてくる。自分を忘れることなど许さないとでも言わんばかりに。
                           解放されるわけではないと知りつつ下に手を伸ばした。真正直に硬くなっている。彼のことを考えるときだけ。こんな风に心が、いっそ狂ってしまいたくなるくらい疼くときは、必ず。思い切り握って动かすといやおうなく彼の吐息が苏った。昨日会っていたのと変わらぬ鲜明さで。 仆が君に言ったことは全部、本当なんだ。
                           目の前にいない彼に向かって叫んでいた。
                           君のことばかりを见てる。君にしか触れたいと思わない。欠陥というなら、仆の方こそ欠陥じゃないか。他のどんな人间を前にしたって、爪の先ほども动かない心を忌々しく思うだけだ。
                           君にだけは。君の、碁盘を前にして远いところに集中しているときの目や、石を手に取る指先の动きや、何気ない笑颜、我を忘れて陶酔しているときの表情、そんなものに限らず名前のひとつひとつの音に至るまで。仆をこんなに感じさせるのは、五感のすべてを夺って离さないのは君だけだ。
                           血液と共に意识と感覚がそこに集まってきて、辺りの风景がぼやけた。ストーブの青白い炎の揺らめきが视界全体に広がって気が远くなりかけた。
                           君は。
                           君の言叶はどれが真実でどれが嘘だったのだろう。
                           自分だけを见て爱して欲しいと言うのも、一绪にいたいと言ってくれたのも。引きずり降ろしてやるという言叶も爱し返したいという言叶も、仆はこの耳でちゃんと闻いたのに。でも。
                           最初から游びだとも本気だともとれなかった。
                           求められているという确信も爱されているという感触も、全部仆の都合のいい思い込みに过ぎなかったのだろうか。谁にでもあんな风に応えるのだろうか。欲しがって求めてくる奴には、谁でも。さわれなかったと言っていた例の相手にも、本当は体を许していたのかもしれない。
                           胸を冷たく流れ落ちる疑问と裏腹に、手の中のものは热く昂ぶっていった。雨足は静まりもせず周囲の空间を濡らしていく。仆はその残忍な想像を弄んだ。彼はまだあどけない子供の姿をして、颜も见たことのないそいつの下で仆の腕の中にいるときと同じ娇声をあげていた。
                           身喰いのように自らの伤をえぐりそれをほじくり返して喜んでいる。自分で自分を痛めつけて。
                           そうとわかっていても止められなかった。心の中でさんざん彼を贬めて、軽蔑して、それで忘れられるものなら忘れてしまいたかった。 丑い。 手の中に放ってしまってから、とてつもない自己嫌悪に袭われた。后始末も早々にぐったりしてまた横になった。明日の手合も父との朝の対局も、どうでもよくなっていた。 気がつくと仆はまたパソコンの画面に向かっていた。今日打った一局の検讨はそっちのけにして。
                           天野氏と会ってからこちら、父ともさっぱり打っていない。これといった说明もせず、ただ気分がすぐれないとだけ言って。父は何も言ってはこなかった。
                           日本棋院のページを辿り、主だった対局の结果と棋谱を探す。目的の名前を见つけ、取得できるものは棋谱を取得し、画面に表示させる。
                           一连の动作を行うとき、头の中には何もなかった。ただ手と目だけが胜手に、何をしているのか自覚するより先に心を表现していた。
                           进藤はあれから胜ち続けていた。一度も负けていなかった。高段者を向こうにまわしてほとんど中押しに持ち込み、そうでなくても切れ味の锐い见事な碁を打っていた。
                           それまでの彼と明らかに异なる冴えた技の応酬。相手の力を引き出した上で尚且つ激しく切り结び最后には鲜やかに自分の土表に引き入れてしまう。见ている侧を兴奋させ、かたずを饮んで见守らずにはいられなくさせる。
                           どうして。
                           电源を力ずくで引き抜きたい冲动を堪えて机から立ち上がった。
                           そんなに仆から离れたのがよかったのか。
                           仆との间にあったことは皆、君の碁を一段高いところに引き上げる踏み台でしかなかったというのか。
                           自分の対局の结果を思わずにいられなかった。
                           胜败よりも何よりも、自身の内面を覗いて愕然とした。それほどひどい一局だった。途中で、まだ中盘だというのに、どうしてもそこから先を打つ気にならなくなってしまったのだ。まるで、打つことへの力を生み出している动力源に繋がる通路の盖が固く闭じて、盖そのものが见当たらなくなってしまったかのように。そんなことが自分に起こりえるということが信じられなかった。当然の如く集中が途切れ、元に戻すのに非常に苦心しなければならなかった。一手や二手の损ではなかった。
                           化け物か、君は。
                           君のせいで仆の方はこんなところに落ち込んでいるというのに。
                           君のせいで。
                           その言叶に反応して何か强烈な感情が、暴走している头に抑止をかけた。大きな悲しみとでも呼べる感情が。
                           何をしているんだろう。
                           不意に当たり前の疑问が访れた。
                           気持ちがおさまらないのなら、こんなところにいないで自分の足で彼に会いに行けばいいのだ。今はもう、そうしたって何の问题もないのだから。出かけていって话すなり、殴るなり、骂倒するなりすればいい。どうしてここで忘れることも谛めることもせず、かといって追いかけることもしないでただ座っているんだ。 答えられない。何かがすごく、ひっかかって。
                           考えたくない。思考があるところで止まってしまう。
                           彼を蔑み、自分を哀れんで终わらせてしまうことのできない何かがあるはずなのに。
                           もどかしい、そして、情けない。
                           でも、考えたくない。どうしても。


                          16楼2013-08-30 21:00
                          回复

                             百三十手を越えたくらいだろうか。一度取り上げた石を盘上に置かずまた碁笥に戻して、白川は静かに宣言した。
                            「负けました」
                             仆は思わず大きく一つため息をついた。互いに挨拶を交わして、石を片付ける前にしばし盘面を眺める。
                             头に血が上っていて冷静さとは程远い状态ではあった。だか。途中でやる気が失せるような最低な対局とは天と地ほどの违いがあった。绝対に负けるものかという子供じみた感情が思いがけない力になって、今までつちかってきた技术を引き出したのだ。终わってみたら、最近にはなく良く打てた碁だった。
                             どうしようもなくみっともない动机に支配されていた。こんな奴に、いや相手が谁であれ、仆以外の人间が进藤のことをあんな风に语るのを闻くのは耐えられない。许しがたい。
                             仆は自分がこういう具合に打っているのだとは今まで考えたこともなかった。もっと理性的なのだとばかり思っていた。
                             抑えていたから打てなかったのだろうか。
                             井戸の底で光明を见たように思ったとき。感叹の响きを含ませて彼が言った。
                            「やるなあ。さすがだね」
                             その声で、现実に浮上する。
                            「君は情绪がそのまま反映するタイプなんだね。そうは见えなかったけど」
                             言い置いて一足先に立ち上がってしまった。廊下に出たところを追いすがり、ようやくつかまえる。
                            「白川先生、待って下さい。进藤が」
                             思わず高くなった声を押さえなくてはならなかった。
                            「进藤と何があったんです」
                             彼は足を止めてゆっくり振り返った。
                            「つまらない真似をして悪かったね。かまをかけただけだよ。别に何もない」
                            「嘘だ」
                             なりふり构っていられなかった。近づいて、真颜になった目の奥を睨みつける。
                             彼は人差し指で眼镜の縁を上げて间をとった。迫っているのはこちらなのに、探られているような気分になる。やがて口を开くと落ち着いた口调で言った。
                            「あまり辛そうだったから、仆の家に泊めてあげたよ。信じるも信じないも胜手だけど、それだけだ。今のところはね」
                             全身の血が一瞬で沸腾してしまったかと思った。
                            「进藤に手を出すな」
                             …思わず、口をついて。
                             自分でも惊くほど低い声だった。それ以上は言叶にならず、奥歯を思い切り噛み缔めた。
                             彼は动揺した様子も见せず、穏やかな表情で仆の势いをまともに受け止めた。
                            「すごい目をするなあ」
                             と、感心したように呟いた后。
                             ふと眼光が锐くなる。他人の心を见透かそうとするかのように。そして、
                            「彼は君のものなのかな?死にかかっていても放っておくのに?」
                            と言った。
                             血の気が引いて颜色が青ざめるのが分かった。その场に冻り付いて动けなくなってしまった。
                             白川は厳しい目つきのままその仆を一瞥すると无言で立ち去った。仆は。足元の地面に穴が开いて立っている拠りどころがなくなっていくのを感じた。 …そうだ。仆は知っている。本当は。 固く闭ざし重石をしていた盖を突き上げて、何かが怒涛のように流れ込んできた。それに圧倒されて目が眩んで见えなくなった。
                             进藤が仆の前からだけでなく、この世のどこからも永久に消え去ってしまうのではないかと疑っていることを。
                             それなのに、それを止めようともせず、追いかけもせず立ち止まっているのだということを。手も足も出さずに放っているのだということを。
                             本当は知っているんだ。
                             なぜあの时、君が何と言おうと抱き缔めて离さず、侧にいたいんだと言わなかったのだろう。ずっとそうするつもりだった。何があろうと。
                             仆が去った后、君は泣いているのではないか。苦痛のあまり泣くこともできずに一人でただ震えているのではないか。
                             あの部屋で、一人で。
                             心の底でそう思っているにも関わらず。
                             确かめることはおろか动くことすらできないでいる。手足が何かに缚られでもしたように、体がすくんで动けない。
                             本当は、それが一番苦しい。
                             手を离したら失うかもしれないのに。このまま失ってもいいとは到底思えないのに。
                             すれ违う人の体が肩をかすめていった。突っ立っている仆を怪讶そうに见て通り过ぎていく。
                             それでも、长い间身动きひとつできなかった。 怖くて。
                             お前は弱いから。弱いお前はいらない。そう言われるのが怖くて。 白川は怒っていたのだろうか。
                             彼の教え子を一旦は爱しながら踏み止まれず、今でも爱しているのに踏み出せない仆に対して。
                             头の片隅でそう思った。** 皆が寝静まって家中に静寂が访れた。
                             俺もいったんは床につき、少しは眠ったらしい。だが、计ったように再びはっきりと覚醒した。时计を见ると、午前二时をまわったところだった。
                             起きたばかりでも头は冴え冴えとしていた。客间の一室、同じ部屋にいる和谷と白川先生を起こしてしまわないよう、横たわってしばらく気配を杀していた。
                             カーテンの隙间から、晧々と白い月が夜空を饰っているのが见えた。
                             物音を立てないようにそっと、布を横に引く。窓の向こうは、海だった。
                             月は、道标のように天空をただ一つ明るく浮かんでいた。淋しい导き手だと思った。そのおかげで空はうっすらと明るく、こちら侧、岸辺の人の営みの明りを反射して浜辺はなおのこと明るい。その间にはさまれた空间だけが、ぽっかりと黒かった。すべての色がその穴に吸い込まれてしまったみたいに。
                             どのくらいの时间、それを眺めていたのだろうか。
                             知らないうちに浜に降りてもっと近くでその光景を见つめていた。その辺にあった上着を一枚、羽织っただけで。
                             寒さは感じなかった。体の奥に染み込んだ音が高く低く、现実の波の振动と共鸣を起こしていた。潮の匂いが肺をいっぱいに満たした。
                             足を踏み出すと、砂に沈む。砂が俺を受け止めてくれた。 呼んでいる。 ここがどこで自分がどうしてここにいるのかということは吹き飞んでしまっていた。头には何もなく、ただ、月が行く先を示しているところへ行こうと思った。
                             ふと痛くないな、と考えて。実はずっと痛かったのだと気がついた。胸も手足も、そこいらじゅうが。
                             绝望を感じたわけでも、悲しくて胸がつぶれそうになっていたわけでもなく。そのときの俺は、からっぽだった。むしろ体は軽かった。后戻りできないスイッチだったのだと思った。
                             波と砂の境界线は刻一刻と形を変えていた。
                             ひたひたと押し寄せる水が踝を濡らし、さして厚くもない部屋着の裾から上にはいのぼってくる。押される力を感じるだけで、感覚は既に麻痹していた。
                             俺は前だけを见てひたすら暗暗に向かって进んだ。水の圧力が足を重くさせて上手く歩けないのがもどかしくなった。歩くそばから砂が失われ、大地が一足毎に崩れ去っていく。后ろの虚空にのまれて。この砂のように粉々になって、やがてはさらわれてしまう。俺の立っているところはこんなにも脆いものだったのだ。
                             地面がなくならないうちに远くまで行かなくては。
                             悬命だった。足元の水面から一メートル先も暗く何も见えず、水飞沫が体と颜に叩きつけてもまったく怖くなかった。悲しくもなかった。ただ早く、あの月の向こうに行きたかった。
                             その时、靴の先が何も捉えられないと思ったら、全身を支えていた力がいきなり别次元のものに変化した。
                             一瞬で大波にのみこまれて头と足の位置をどう固定したらいいのかわからなくなった。头を强く殴られたような冲撃と共に目と喉が潮の刺激でふさがれる。心臓の鼓动が全身に响いてその脉动しか感じられなくなり、目の前が真暗になった。
                             无意识に手を动かすとまだ水の底に触れた。それを掴んで体を立て直そうとがむしゃらに底をかき回す。流れていく海草が手にからんだ。音がなくなった。 ———このまま。 ひどくゆっくりと时间が流れた。 このままこうしていれば、终われる。
                             何もかもすべて、终わりにできる。
                             终わりにしてしまいたい。 强烈で抗いがたい感情。 そして今度こそ、一绪に连れて行ってもらうんだ。佐为のいるところに。佐为と一绪に。 それは恐ろしく甘美な诱惑だった。それしかないように思えた。俺は本心からそう愿った。
                             …そうしているのは至极简単なことだったのに。
                             次の瞬间、头が水の上に出て空気が流れ込み、海水とせめぎ合った。 佐为。
                             佐为は入水したのだと言っていた。
                             彼もこんな风に水に沈んでしまったのだろうか。
                             こんな风に、一人で。爱するものを自分から舍て去ってしまって。すべてのものに背を向けて行ってしまったのだろうか。
                             だから本当はものすごく淋しくて、そんなつもりではなく意识もせずに谁かを、爱する人を引きずり込まなくてはいられなかったのだろうか。今の俺のように。俺が塔矢を引きずり込まずにいられないように。
                             この次は俺が塔矢をここに连れてきてしまうのだろうか。
                             俺が消えたらお前は泣いて自分を责めるだろう。
                             壊してしまう。
                             あの优しい魂が、その优しさ故に自分を引き裂いてしまう。
                             だめだ、そんなの。
                             俺はお前を守りたいんだ。俺の一番大事なものなんだ。 いつの间にか泣いていた。潮水か涙かわからないもので颜中が濡れていた。あの日以来、涙なんかすっかり枯れてしまったと思っていたのに。
                            「…ちくしょお…」
                             咳き込みながら、吐き舍てた。 ずっとずっと、何かを引き换えにして、大事なものを差し出して、それで俺は今の强さを手に入れた。
                             碁の神様は俺に素晴らしく尊いものを与えてくれた。惜しげもなくその懐から取り出して。それはあまりにも美しく、あまりにも大きく、あまりにも重くて、俺は俺の器をどんどんからっぽにしなくてはならなかった。その代偿に大切なものを支払わなくてはならなかった。
                             何もかも捧げ尽くして、俺の中にはもう何も残っていない。この命の他に、ただ一つを除いては。 神様。
                             その一つだけは、やれないんだ。
                             どうかとりあげないで下さい。俺があいつを想う心を。
                             あいつの肌のぬくもりや俺を呼ぶ声が失われても、最后に残った、この俺が爱する心を夺われたくない。
                             お愿いだからそれをとりあげないで。俺にあいつを壊させないで下さい。 どこをどう动かして辿りつくことができたのか、波打ち际に転がっていた。心臓は辛うじて动いていた。陆に上がった鱼のように重力に押しつぶされて体中が悲鸣をあげている。五感が最悪のタイミングで戻ってきた。すぐそこに人家の明りが见えたが、とても进めそうになかった。
                            「塔矢」
                             砂混じりの、水とも思えない液体を吐き出して、からからになった喉でその名前を呼んでいた。 ———塔矢。 呼んでどうしようというのでもなく、ただ口からこぼれ落ちるように呼び続けた。
                             身胜手だろうと何だろうと、构わない。相反するどんな思いも混ざり合ってしまい、一つの祈りのようになって。
                             呼べば呼ぶほど応えが返ってくるところに行きたいと思ったのかもしれない。あいつの腕の中に。
                            「进藤くん」
                             谁かがそれに答えた。颜を上げられずにいると、かぶさってくる布の感触と共に抱き起こされていた。
                            「白川先生?」
                             それだけ言うのがやっとだった。人の声と姿に安堵したせいか、ふっつりと糸が切れて急速に意识が远ざかっていった。


                            18楼2013-08-30 21:07
                            回复
                              2025-05-14 18:58:03
                              广告
                              ** 何であんなことを言ったのだったか。 仆は父と手をつないで歩いていた。家の近くの住宅地を二人并んで。
                               そこの角を曲がると家の庭先が见える。仆はゆっくり歩いた。うつむいてもじもじしていると、父が闻いてくれた。
                              「アキラ?」
                              「おとうさん」
                               仆は思い切って口を开いた。父の大きくて骨ばった手をぎゅっと力を入れて握った。
                              「ボク、囲碁の才能あるかなあ」 白川との対局を终えて。棋院を出てどこをどう歩いたのか、自覚がないまま足を止めると自宅の门の前だった。
                               もう何十年にもなって、家の者や门人の手で擦りへって黒光りする木の扉。今日はふとそれが、见知らぬ家の入り口のように见えた。扉を横に引くと、心なしか重い。
                               玄関に入ると、ちょうど片付けものをしていた母と出くわした。仆は気まずくなった。
                              「お帰りなさい。遅かったのね。晩ごはんは?」
                               母は屈托のない笑颜で言った。
                              「…まだ、だけど。要りません」
                               その明るさが妙に勘に障って、无爱想に答えた。食事のことなんて、すっかり头から消えていた。
                              「あらそう」
                               仆が脱いだ靴を揃えようとかがんで背中を向けると、母は一段高い声で言った。
                              「まあ、アキラさん。伞を持っていかなかったの」
                              「え」
                              「つもってるわ。たくさん」
                               言いながら仆のコートの肩や背中を手ではたき落とす。髪にも雪が溶けきれずに残っていた。冷えたはずだ。雪が降ってきたことに気がつかずに歩いていたのだ。
                               母は割烹着の袖口で仆の头と额をぬぐった。郁陶しいのとくすぐったいのとが入り混じって、仆は子供がされるみたいに両手を下ろしていた。
                              「すぐ着替えて温まりなさい」
                              「お父さんは?」
                               ふと思い立って闻いてみた。
                              「とっくに帰っているわよ」
                              「そう。…何か后で食べられるものをとっておいて」
                               母は黙って微笑むと台所に去った。
                               部屋で母の言う通りにすると、どっと疲れが出て、畳に座り込んだまま动けなくなった。 いつも厳しい颜つきで碁盘に向かっている父は、道路の真ん中でしゃがみこむと、にっこり笑って仆と同じ目线になった。お前にはもっとすごい才能がある、と言って。
                               その言叶の本当のありがたさは、当时の仆にはよく分かっていなかった。できれば囲碁の才能があると言われたかった。だが、その时の父の様子や、その答えの真剣さで父が仆をとても真面目に扱ってくれたのだということは身に染み込んだ。
                               仆はその言叶を、父にそう言われた自分を夸りに思っていた。进藤に叩きのめされるまでは。
                               进藤と二回目の対局で一刀両断された时、仆がそれまで信じていた塔矢アキラは砕けてしまった。砕けた己をもう一度组み立て直すのに、仆は进藤を自分を作り上げるためのピースとして取り込むしかなかった。それほど强烈な出会いだった。
                               まるで父と打っているような强さ。
                               仆はずっとその名もない『彼』を进藤の中に见ていた。そうしないと、自分を支えていられなかった。
                               いつから进藤のことを好きになったのだろう。
                               『彼』ではない、『彼』とかかわりのない、进藤のことを。
                               囲碁をしていない君のことを。 头が冴え渡って氷柱のように胸を痛めつける。焦りでじりじりと焼かれながら。滝が流れ落ちるように、その思考は止めたくても止まらずに仆を翻弄した。 仆の世界は父が中心だった。父のような棋士になりたかった。父のように强く、より高みを目指して。
                               仆は『彼』を父の代わりにし、その次には进藤を『彼』の代わりにしていたのかもしれない。棋士の高みを目指すために。
                               その高みはどこまでも独りで登りつめなくてはならないものなのに、孤独に耐えられず、君のことを利用していただけだったのかもしれない。自分のために。
                               それを思うと耐えがたい。
                               世界中が引っくり返ってしまったような気がする。でも、既に目を逸らすことはできなかった。 まっすぐに前だけを见て、强くあろうとしてきたつもりだった。
                               弱い自分など许さない。それは仆の夸りで、支えだった。
                               でも、その强さは。
                               仆が持っていた强さは、まやかしだったんじゃないか。 初めて进藤の素肌に触れた时、彼が泣き出すように榨り出した言叶が脳裏に浮かんだ。
                               仆は君が好きだと答えた。他の谁でもない君だけが好きなんだと言ってその体を抱き缔めた。だから君は、仆に君を预けてくれたのに。
                               君の望みを、その真実を今になって発见するなんて。
                               见透かされていたのだろうか。
                               背筋が冷やりとした。
                               君は意识はしていなくても、とても深いところで人の気持ちを感じ取っている。ひどく感じやすい人间なのだ。仆の知る限り、他人の何倍も。
                               仆は今度は、どう言えば君に谢ることができる?
                               固く目を闭じて俯いていたその时。部屋の扉の向こうで、母の声がした。
                              「アキラさん、お父さんがお呼びよ」
                               重い足を引きずって父の部屋に行くと、父は冷気が入り込んでくるのも构わず障子を开けて、窓际で庭に降り积もる雪を眺めていた。仆は碁盘を离れて父の侧に正座した。
                               父は长いこと口をきかなかった。细かい雪が辺りの暗暗を白く染め、落ちてきて今度は庭の草木と地面とを埋めていった。
                               仆は父に何を言われても返す言叶はないと思った。碁の不振のことも、父との対局をさぼっていることも、闻かれても答えられない。たとえ责められても、谢罪や言い訳はできない。今のどうしようもない自分が、仆なのだから。
                               父の横颜と、窓の外の音のない世界を见ているうちに不思议と落ち着いた気分になった。先ほどまで奈落の底であえいでいて、それは少しも変わってはいなかったのだが。
                               父の前でこれほど素のままでいたことはなかった。思い返せば、いつもどこかしら紧张していたのだ。 ———谢らなくてもいいのかもしれない。 ふと、そう思った时。
                              「アキラ」
                               父が口を开いた。こちらに向き直らず、窓の外に视线をやったままで。
                              「何か言いたいことがあったら言いなさい」
                              「…ありません」
                               父は小さく、ため息をついた。そしてすぐに言った。
                              「では、何か闻きたいことはないのか」
                              「闻きたいこと?」
                              「そう。碁のこと以外で私が答えられることは少ないが。それでもよければ」
                               その言叶で、仆はやっと自分が呼ばれたわけを理解した。
                               父と手をつないでいた帰り道の光景が苏った。
                               あの直前、仆は不安で不安でたまらなかった。自分がこの家にいてはいけないのではないか、それに値しないのではないかという疑念で头がいっぱいになっていた。どういう理由でかは、もう思い出せない。谁かに何か言われたのかもしれない。
                               仆は不安や弱音を上手く表に出せない子供だった。今でも。甘えてもいい、とこんなにはっきり示してくれるまでは、そうしてもいいとは気づけないのだ。
                               だが。何をどう言えばいいのか。仆は途方にくれてしまった。
                               普段なら言えずに终わってしまっただろう。
                               言わなくては。今しかない。
                               何かが仆の背中を押した。
                               何でもいい。たった今开くことができなくては、仆は永久に彼のもとに届かない。
                              「…好きな人がいるんです」
                               父は眉を上げてこちらを见た。父と目を合わせられずに畳の縁を睨み、手が震えるのを押さえながら。
                              「でも、いつもすれ违っていて、そうならないようにしようとすると自分を抑えつけてしまう。结局、伤つけてる。もう自分の気持ちも分からない。自信がないんです」
                               仆は心に浮かんだことをはしから言叶にしていった。自分の声がやたらと大きく响いた。
                              「何も信じられなくなりました。相手のことも、あんなに好きだった気持ちも。今追いかけなかったら永远に手が届かないかもしれないけど」
                              「………」
                              「去りたくて去ってしまうのなら胜手にすればいい。仆をおいて行くのなら、それで。仆のことが要らないなら行ってしまえばいいと思う」
                               少しも上手く言えない。だが、一所悬命ではあった。
                              「…でも、本当は」
                               心の奥の奥から真実を掬い取るように。
                              「何にも伤つかない强い心が欲しい。その人のために」
                               仆は黙った。
                               父は笑いも怒りもしなかった。その代わり、対局の検讨をするときのように腕を组んで、真面目な口调で言った。
                              「始めから伤つかないのを强いとは言わないだろう」
                               それでやっと、颜を上げて父の颜を见ることができた。
                              「こちらが爱しても望む通りに爱されるかどうかは分からない。だがそれで相手が爱していないかというと、そうとは言えない。だから」
                               考え考え、一手を选ぶように。
                              「投了するのはいつでもこちらの自由だ」
                              「………」
                               父が碁石を手に取るときは、どんな时でも厳かだ。少なくとも仆の目の前で乱暴に扱ったことはない。
                               仆は自分がそんな风に扱われていると感じた。
                              「それでお前は、本当にまだよく分からないのかね」
                               父の目をよく见ると、呆れたような困ったような、复雑な表情をしていた。
                               すとんという音と共に何かが落ちてきて仆の欠けている部分に収まった。
                              「いいえ、分かりました。…好きです。大事です。谁よりも」
                               全部本当のことだったんだ。
                               切れ切れだった断片が繋がって一枚の絵になった。
                               进藤の言ったことは、どれが嘘でもなく、すべて彼の本音だったんだ。
                               口说いてみたらどうなんだ、というのも。
                               もう十分だけ一绪にいて欲しい、というのも。お前が伤つくと痛い、というのも。
                               仆は、ここにいて欲しいと言われて嬉しかった。
                               君が暗い记忆に苛まれて、退行してこの腕の中で震えていた时。君の目に自分が映っていないのは例えようもなく辛かった。肩を揺さぶって君の前にいるのは仆だ、仆を见ろと怒鸣りつけてやりたかった。でも、できなかった。こんな风にしか苦しいと言えないんだと思って。それほど苦しかったんだと思って。どうしても、何があっても嫌いになることはできないと感じた。
                               いつもいつも、最后にはそこに戻っていく仆の心、そこに至るあらゆる过程はどれも仆自身の真実だった。同じように彼の言叶も行动も、みな。
                               仆は君のことだけが好きだと言った。それで君は仆に预けてくれた。
                               あれが始まりだったのだ。
                               あの时から仆は『彼』ではなく、棋士ではなく何者でもない进藤のことを追い始めた。
                               あの时から爱し始めたのだ。ようやく。仆が行く孤独の道连れにはなり得ない君自身を。 会いたい。 拒まれてもいいとか、苦しめてもいいとかそういう风には考えなかった。
                               拒绝されないような気がした。今なら。
                              -tbc-


                              19楼2013-08-30 21:14
                              回复