裏の私、推倒抹茶吧の皆さんだけに差し上げます。
辉きな便意
これは私のオリジナルです。この言叶を思い出したのは、何となく照れくさいんだけど、実际は、私がウンコしたくなってきた时なんです。
なぜならというと、最近気に入った歌を聴くうちによく歌词に注意していたんだのかも知れません。ある歌には、「デモ暗暗いるほど、未来は眩しい」という言叶がにゅっと目に入りました。歌词ではなく、その歌のpvの画面もシンクロして目の前に流れていきました。ふと胸の中で何かぱっと明るくなりました。あっそう、そういうことだかと思いながら何回も反刍していたんです。闻き终わった后、一人で寮にずっと座っていたんで、いろいろを考えました。
私ね、元々心身健康という人ではないのにやっと気がするものです。何処から见ると、周りの友达に比べらればもっと重たく生きているそういうことが言い过ぎではないと思います。みっともなくて真っ黒な过去を一生に背负って続いていくどころか、今更どうやって自由になることができるかまだ疑问なんです。その疑问を抱いたあげく、悩んでいるしか何もできありませ。
しかし、その歌词の言叶に出会って以来、砂漠の中に数日喉が渇くて四肢が疲れてぐったりしていた时、突然何メトル以外にある泉が现れてきたようにほっとしました。この世に困っているのは自分ではなく、自分の悩んでいる悩みが决して消せないのもないわけです。そう考えたら、しっかりしてきましたが、自分に「辛すぎるので、どうしても我慢できなければどうする」と闻けば、昨日まで自分にもよく分かりませんでした。あのとき便意が沸き上がって考え続きたいのはやまやまだが、まず便意のことが先だというわけでした。トイレに行くか行かないかうちに、インスピレーションがぴんと出ました。
なるほどです。ウンコのことに等しいんではないでしょか。「デモ暗暗いるほど、未来は眩しい」ということばの字面通り、どのくらいひどい目に遭うのは気にしなくてもいい、この后辉きな未来が私たちを待っていますから。その通り、ウンコが出できた前に、我慢するほど気持ち良さそうものではないでしょうか。日常の些细でくだらないものですが、そのものがよく人生の哲理を含めると思います。