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港川人1号男性の背骨に胸椎の椎体の部分が少しつぶれていて、横から见ると前方が低いクサビ形あるいは台形になっています。これは、骨粗松症によって骨が弱くなり、つぶれてしまったためと考えられます。この人の年齢は壮年后期ですが、生活が厳しく、老化が早かったのでしょう。
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港川人1号(男性)
1万8000年前
港川遗迹出土
东京大学総合研究博物馆蔵
港川人4号女性の肘の部分に左右の肘に同じ形の伤があります。左右の尺骨の上部后面に凹んだ伤がありますが、この伤は上腕骨と尺骨がつながった状态で付けられたと思われます。左右の上腕骨の下部が失われていますが、切り取ったのではなく、肘を无理に反対侧に曲げて折り取ったと思われます。つまり、尺骨に伤を付けてから、肘を无理に折り曲げたのでしょう。なんらかの葬送仪礼と考えられます。
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港川人4号(女性)
1万8000年前
港川遗迹出土
东京大学総合研究博物馆蔵
港川人というのは、冲縄県具志头村港川石灰岩采石场で1970年に大山盛保によって発见された化石人骨に付けられた名前です。彼らの年代は、放射性炭素法によって、1万8000~1万6000年ほど前と推定されています。港川人の骨は4体分の骨格が残っていて、これらの人骨によって后期更新世时代の日本人の祖先がどのような姿形をしていたかが初めて明らかになりました。港川人の骨は、日本人の祖先の骨格として重要なだけでなく、东アジアの新人化石の中で最も保存が良く、アジアにおける新人の进化を解明する上で贵重な资料です。
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