在阿富汗 与哈扎拉(hazara)族相区别的还有一个被称为莫戈勒(monhol)的蒙古系民族。
◆(Moghol)族
分布于阿富汗中部Galat地区和北部。人口有数千人。语言通用达利语,使用莫戈勒语,少部分使用普什图语。信仰伊斯兰教属逊尼派。莫戈勒族是13世纪蒙古军后裔。在阿富汗与莫戈勒族相近的还有艾玛克(Aimaq)族 ,同样使用 达利语,分布在阿西部地区,人口80万。




现今对阿富汗莫戈勒(monhol)族介绍和研究最详尽的著作,是日本著名人类学家 花剌子模-印地史学家 梅棹忠夫 和作家历史学家 岩村忍。
莫戈勒语里的词汇是最接近十四世纪蒙古语的分支
1 梅棹忠夫
1952年梅棹忠夫氏东京大学波斯-印地学术探検队一员、对位于阿富汗中西部的Galat州 蒙古人后裔的莫戈勒(monhol)族集落亲身体验,对其风习 言语进行采集采集和记录。收集了详实的第一手珍贵资料。于1956年撰写出版的《莫戈勒族探检记》 。
梅棹忠夫《莫戈勒族探检记》的珍贵之处在~ 莫戈勒语已渐消逝之前,对这个民族的风俗文化语言留下了宝贵的记录。1960年代开始阿富汗开始长达半世纪的内乱和战争,今天有学者再去访问当年的莫戈勒村落时发现,能使用莫戈勒语的人已经很难找到了~~~~
现例举《莫戈勒族探检记》中的记录:
习俗:莫戈勒族崇尚白色,使用干支纪年,有“tsagan sar”这个节日。有焚香祭火习俗等等。
语言:日常词汇的39%为蒙古语,如;牛-uker 犬-nukai 房子-ger 蓝色-kuke 黑色-hkar
家族聚落-aimak 乳酪-gurud等等。
若研究莫戈勒(monhol)族历史,这本书是必读之作。

アフガニスタンにはハザラとは区别され「モゴール」と呼ばれる民族が少数いる。
ハザラは明かにモンゴル系の人种ではあるものの使用する言语はハザラギーと呼ばれるペルシャ语系である。それに対して、モゴールはモンゴル语を话す人がいると言われている。
岩村忍著作--《阿富汗纪行--找寻莫戈勒族村落》

1903年、フィンランドの言语学者のラムステッド博士がロシア领内を旅行した际に、アフガン国境の町クシカでモゴールと名のる男に出会う。彼らはペルシャ语の単语をまじえているがモンゴル语の単语を残しており、その采集を言语资料としてまとめて3年后に学会に発表する。
それから50年、京都大学人文科学研究所の岩村忍教授はヘラート郊外でモゴールの人に出会う。彼らは5,60年前にタイマニとの戦いに败れ、南东部より移动してきたと闻き出す。当时の旅では彼らの故郷に足を踏み入れることはできなかった氏は「またいつかは机会が访れるであろう」と著书「アフガニスタン纪行」に记している。
前年に行くことができなかった地域を言语学者の山崎教授、考古学者の冈崎氏、岩村教授と著者が访る旅行记の形式をとったのがこの本である。学术的な难しい文章ではなく読みやすい。兴味のある人は読むであろうから、ここではその内容について详しくは书かない。
ひとつ仆が感じたことは、周辺の民族との力関系だった。タイマニとパシュトゥンエリアにはさまれ、少数者であることの物悲しさを思った。
あれは98年だったろうか、それとももう少しあとのことだったか。仆はパキスタンのクエッタでモゴールの老人に会ったことがある。明かにモンゴロイドの颜つきの老人は仆の友人とパシュトゥー语で会话していた。「モンゴル语は话せるの?」と寻ねたところ、「近くに住むもので话せる人はいない。モゴールが使用するのはパシュトゥー语とダリ语なんだ」と言った。仆が今までに会った唯一のモゴールであった。
アフガニスタン奥地に住むというモンゴル族の末裔を访ねた1955年の探検记。中世モンゴル语に近似するというモゴール语はこの时点で消灭寸前、からくも数名の话者をみいだし采录を果たす。その后50年を経过、モゴール语は完全に失われたと思われるが、今なお厳しい情势が続く彼の地で、モゴール族の人々がどうなっているのか気になるところ。
◆(Moghol)族
分布于阿富汗中部Galat地区和北部。人口有数千人。语言通用达利语,使用莫戈勒语,少部分使用普什图语。信仰伊斯兰教属逊尼派。莫戈勒族是13世纪蒙古军后裔。在阿富汗与莫戈勒族相近的还有艾玛克(Aimaq)族 ,同样使用 达利语,分布在阿西部地区,人口80万。




现今对阿富汗莫戈勒(monhol)族介绍和研究最详尽的著作,是日本著名人类学家 花剌子模-印地史学家 梅棹忠夫 和作家历史学家 岩村忍。
莫戈勒语里的词汇是最接近十四世纪蒙古语的分支
1 梅棹忠夫
1952年梅棹忠夫氏东京大学波斯-印地学术探検队一员、对位于阿富汗中西部的Galat州 蒙古人后裔的莫戈勒(monhol)族集落亲身体验,对其风习 言语进行采集采集和记录。收集了详实的第一手珍贵资料。于1956年撰写出版的《莫戈勒族探检记》 。
梅棹忠夫《莫戈勒族探检记》的珍贵之处在~ 莫戈勒语已渐消逝之前,对这个民族的风俗文化语言留下了宝贵的记录。1960年代开始阿富汗开始长达半世纪的内乱和战争,今天有学者再去访问当年的莫戈勒村落时发现,能使用莫戈勒语的人已经很难找到了~~~~
现例举《莫戈勒族探检记》中的记录:
习俗:莫戈勒族崇尚白色,使用干支纪年,有“tsagan sar”这个节日。有焚香祭火习俗等等。
语言:日常词汇的39%为蒙古语,如;牛-uker 犬-nukai 房子-ger 蓝色-kuke 黑色-hkar
家族聚落-aimak 乳酪-gurud等等。
若研究莫戈勒(monhol)族历史,这本书是必读之作。

アフガニスタンにはハザラとは区别され「モゴール」と呼ばれる民族が少数いる。
ハザラは明かにモンゴル系の人种ではあるものの使用する言语はハザラギーと呼ばれるペルシャ语系である。それに対して、モゴールはモンゴル语を话す人がいると言われている。
岩村忍著作--《阿富汗纪行--找寻莫戈勒族村落》

1903年、フィンランドの言语学者のラムステッド博士がロシア领内を旅行した际に、アフガン国境の町クシカでモゴールと名のる男に出会う。彼らはペルシャ语の単语をまじえているがモンゴル语の単语を残しており、その采集を言语资料としてまとめて3年后に学会に発表する。
それから50年、京都大学人文科学研究所の岩村忍教授はヘラート郊外でモゴールの人に出会う。彼らは5,60年前にタイマニとの戦いに败れ、南东部より移动してきたと闻き出す。当时の旅では彼らの故郷に足を踏み入れることはできなかった氏は「またいつかは机会が访れるであろう」と著书「アフガニスタン纪行」に记している。
前年に行くことができなかった地域を言语学者の山崎教授、考古学者の冈崎氏、岩村教授と著者が访る旅行记の形式をとったのがこの本である。学术的な难しい文章ではなく読みやすい。兴味のある人は読むであろうから、ここではその内容について详しくは书かない。
ひとつ仆が感じたことは、周辺の民族との力関系だった。タイマニとパシュトゥンエリアにはさまれ、少数者であることの物悲しさを思った。
あれは98年だったろうか、それとももう少しあとのことだったか。仆はパキスタンのクエッタでモゴールの老人に会ったことがある。明かにモンゴロイドの颜つきの老人は仆の友人とパシュトゥー语で会话していた。「モンゴル语は话せるの?」と寻ねたところ、「近くに住むもので话せる人はいない。モゴールが使用するのはパシュトゥー语とダリ语なんだ」と言った。仆が今までに会った唯一のモゴールであった。
アフガニスタン奥地に住むというモンゴル族の末裔を访ねた1955年の探検记。中世モンゴル语に近似するというモゴール语はこの时点で消灭寸前、からくも数名の话者をみいだし采录を果たす。その后50年を経过、モゴール语は完全に失われたと思われるが、今なお厳しい情势が続く彼の地で、モゴール族の人々がどうなっているのか気になるところ。
