〈第二尚王统时代〉1470年~1879年 先岛诸岛・本岛南部
名君尚真が筑いた黄金时代
クーデターで王になった金丸は、名を尚円と改め、中国からも王として认められます。なので同じ尚姓ですが、尚円以降を第二尚王统といいます。尚円は王になったときすでに55歳で、7年后に亡くなっています。弟の尚宣威が后を継ぐはずでしたが、尚円の正室・宇喜也嘉(おぎやか)が策略を用いて若干13歳の息子・尚真を王位に就けたといいます。尚真は歴代王の中でも最长の50年近く在位し、その间に第二尚王统の坚牢な基盘を筑き、400年以上の长期政権を可能にした名君中の名君と呼ばれています。この时代に、オヤケアカハチの乱など八重山の反乱も平定し、先岛诸岛も首里王府に统治下に置きました。尚真は・刀狩り・各地の按司を首里に住まわせる・身分制度の明确化 などの政策で中央集権化を図り、芸术を奨励して文化国家・琉球を确立していきました。「円覚寺」「崇元寺」「玉陵」などの壮丽な建筑物が数多く建立されたのも尚真の时代です。この时代は琉球の黄金时代とも言われています。
尚真の后も安定した时代が続きますが、7代目・尚宁が在位中のの1609年に、琉球は萨摩藩に制圧され、萨摩藩の支配地として扱われるようになります。
絵巻に描かれているのは、先岛诸岛と本岛南部の远景などです。
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